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2015.07.03 COFFEE PEOPLE ~ vol.3 菊池武夫 ~

 

〜 いつもそばには音楽とコーヒーが 〜

 

毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。

第三回の今月は、ファッションデザイナーの菊池武夫さんが登場。今年3月に開催したTAKEO KIKUCHIのファッションショーが大好評だった“タケ先生”こと菊池さん。幼少のコーヒーの思い出から、昨年設立30周年を迎えたブランドの長寿の秘訣まで、たっぷりとお話しいただきました。

(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。構成:内田正樹。写真:荒井俊哉)

 

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――タケ先生は毎日コーヒーを飲まれているそうですね。

「僕はコーヒーなしではいられない。一日に何杯も飲みますよ。朝はエスプレッソを飲まないと目が覚めない。一種の儀式だね。その昔、東京の赤羽にアトリエを構えていた駆け出しの頃も、夜はファンキーなソウルミュージックが流れる喫茶で音楽を聴いて、コーヒーを飲んでから家に帰るのが日課でしたから」

————コーヒーとの付き合いはお幾つの頃からですか?

「小さい頃からですね。僕の子供時代はちょうど第二次世界大戦が始まった頃でしたが、軍の関係だったのか、家にはコーヒーがありましたね。父がサイフォンで淹れていたのを覚えています」

————それは食後の一杯とかですか?

「いや、親父と食卓を共にすることはあまりなかったな。厳格なわけでも団欒な空気でもなく、戦時下だったから音楽も聴かず、ただ自然とコーヒーを飲むだけといった時間でしたね。うちは兄弟が12人いたのですが、これだけ大所帯だと兄弟間で派閥のようなものができるんですよ(笑)。でも僕は5歳の頃に大病をしたせいもあったのか、親父にものすごく可愛がられましてね。その分、兄弟たちからは疎まれました(笑)。僕の父は少し変わった人で、自分はバリバリの右翼なのに、子供をキリスト系の学校へ入れて、舶来品にも全く抵抗がなかった(笑)。もしかしたら日本が戦争に負けることを見越していたのかもしれない」

————戦時下ではカルチャーや娯楽なんてものは……。

「さすがにまったくなかったね。漫画がちょっとだけあったくらいかな。戦後すぐにデューク・エリントンやオスカー・ピーターソンなんかを聴き始めて、ジャズの洗礼を受けました。まだ学校にも満足に通っていないような歳だったのに、何故だかすごく魅かれました」

————先生は映画もお好きですが、入り口となったのは?

「西部劇好きの兄貴がいたけれど、僕はあまりそこに影響されなくてね。文化学院に入学した頃、ヌーベルヴァーグから影響を受けました。トリュフォーとかゴダールですね。子供向けとか、偽善的な映画が昔からあまり好きじゃなくて(笑)。当時は新作映画といえば、東京では銀座でしか上映されなかったんですよ。映画の衣装と同じような服が欲しくて、趣味の合う仲間たちと銀座のテーラーに通ったものでした。学校行って、玉突き屋に行ってビリヤードしてからジャズ喫茶に寄って、また玉突き屋に戻る。そんな学生時代でした。当時の喫茶店はおしゃべりする場ではなく、音楽を聴く場だったから、黙って音楽を聴いていた。仲間同志で騒ぐと怒られたものです。思えばコーヒーはその間も切れ目なく、今日までずっと飲んでいる。いつも音楽とコーヒーが自分のそばにある生活だったんですね」

 

〜行動を起こして空気を変える〜

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————ロックミュージックについては?

「中学生の頃にFENで聴いたエルヴィス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』が僕にとって最初のロックでした。1970年代に入って、仕事を始めた頃、ビートルズやストーンズ、アニマルズやレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイドなんかが2年くらいの間で、猛烈な勢いで一気に入ってきた。思想もファッションもみんな違ってね。あの頃は、最も強烈なファッションアイコンは常にミュージシャンだったし、新しいムーブメントは全てロックによって運ばれてきたものでしたね」

————僕はタケ先生に対してずっとロックなイメージを抱いています。常にエッジィで、人より半歩先を歩いてきたというイメージです。

「自分では自覚症状がないんだけど、多分ハジけていなかったら、今ここにはいないんでしょうしねえ(笑)」

————無自覚なタイプのロック人生ですねえ(笑)。

「でもそういうところはあるのかもしれないね。僕は70年代の半ばに、当時長かった髪を突然バッサリ切っちゃったことがあってね。仕事のスタイルも見え始めてきた頃、それまでのカルチャーを全て捨て去りたい衝動に駆られたんです」

————言わばパンクでありニューウェーブの到来だった?

「そうだったのかな。それ以前からあったディスコも、ちょうど大衆化に向かう頃だったし。人や時代にもやもやとした雰囲気が流れ始めたら、誰かが何か行動を起こさないと変わらないでしょ? それがたまたま仲間うちでは僕だった、というだけの話だと思うんだけど(笑)」

————行動を起こして空気を変える。やっぱりロックですね(笑)。ビギ時代に衣装協力をされて一斉を風靡したテレビドラマ『傷だらけの天使』(※主演:萩原健一、水谷豊)もその頃(※1974〜75年放送)でしたね。

「そこへ乗っていこうという感覚も、極めて自然な気分でしたね。イヤなことだけがはっきりとイヤだっただけで、あとはあまり深く考えてこなかったのかもしれない」

————TAKEO KIKUCHIは昨年(2014年)にブランド設立30周年を迎えました。タケ先生が考える、ブランドが長続きするための秘訣があれば是非教えて下さい。

「うーん……壁を“乗り越えてこなかった”ことかな(笑)。目の前に壁が立ちはだかると、僕はすぐに迂回しちゃうんです。人一倍負けず嫌いだから、すぐにカーッとはなるんだけど、その一方でいつも現実的な考え方の自分が、世間の“隙間”を探して、それを埋める。その繰り返しで今日までやってこられたような気がします。まあ失敗もたくさんありましたよ。でも失敗したらすぐに反省して、すっと身を引いちゃうの(笑)。失敗したことを上手く人に気づかせないことも、ひとつの大事な秘訣なのかもしれませんね(笑)」

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(プロフィール)

1939年東京生まれ。ビギ、メンズ・ビギを経て、1984年からTAKEO KIKUCHIをスタート。2004年、一旦ブランドを後任に引き継いだが、2012年からクリエイティヴディレクターに再就任。2014年にはブランド設立30周年を迎えた。

2015年3月のMercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2015-16 A/Wでは、13年ぶりとなる大規模なショーを開催。第二次大戦後にイギリスへ移住したジャマイカンの“ルードボーイ”スタイルを独自に解釈したクロージングとフリースタイルなモデルたちの自己表現に、観客から絶大な喝采が送られた。

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