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2016.07.01 COFFEE PEOPLE ~ vol.12 アン・サリー ~

のろのろと、でも、ずっと歩んできた二つの道

 

毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第12回目は歌手のアン・サリーさんを迎えてお送りします。歌手であり、現役の医師でもあるアンさんは、オリジナルからスタンダードにカバーソングまで、様々な“いい歌”を歌われています。今回のCOFFEE PEOPLEでは、音楽への目覚めから、医師と歌手の両立についてのお話や、音楽の不可思議についてまでを大いに語っていただきました。ぜひご覧ください。

(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:石毛倫太郎。構成:内田正樹)

 

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——カレーを食べた後って、コーヒーは合いますか?(※アンさんはこの日インドカレーを食べてから取材の場にやって来た)。

合う気がします。今日はコーヒーをいただけるのも楽しみにして来ました。

——ぜひ。今日お出しするのは“New Latin Quarter Tune”という名前で、中米と南米の豆を4ヵ国25パーセントずつ混ぜているブレンドです。味ではなく先にストーリーから配合を決めてみたら、味もぴったり合ったというブレンドでして。

面白い。そういう風に配合を決めたりするんですね。

——僕らはどちらかというとストーリーで決めて作るほうが多いんですよ。「こういう味を出したい」という考え方だと、その味に向かっていくことしかやらなくなる。でも味の幅というのは本来は広いものなので、ストーリーから入ると「こういうのができるな」、「ああいうのもできるな」となるので。

(コーヒーを飲んで)美味しい。勉強になります(笑)。

——アンさんは名古屋の出身で、大家族の生まれだということですが。

はい。4人兄弟の一番上でして。あとはおばあちゃんがいてお父さん、お母さんの7人家族です。小さい頃は偉そうにしてきた姉でしたね。「あれ取って」、「これ取ってきて」って(笑)。

——音楽はその頃から?

ピアノは習っていましたね。あとは父親が新婚の頃に買った大きなステレオセットと、昔よくあった「サラ・ヴォーン全集」みたいなレコードがあったので、そういうのを聴いていた程度でした。

——世界的にどうなのかは分からないですけど、ひと頃、日本の一般家庭にアップライトピアノが必ずあった時期ってありましたよね。

ねえ。だから考えようによっては恵まれていたのかも。裕福な人のところにしかないというのとも違っていたし。高度経済成長の少し後に生まれた親たちの世代が、自分たちが習えなかったことでの憧れもあっておいていたのかもしれませんね。

——兄弟でピアノを取り合いになるようなことは?

それが全然そうならなくて(笑)。私だけがなぜかハマって、常にアクセスフリーな感じで弾いていました。

——じゃあ歌もその頃から?

恥ずかしがり屋だったので、人前で歌うのは抵抗があって、ステレオが置いてある部屋で、戸を閉めて一人でレコードに向かって歌っては「あ、案外、私イケてるかも」なんて密かに盛り上がっている程度でしたね(笑)。ただ好きで歌っていただけなので、まさか本当に歌手になるなんて思ってもみませんでした。

——アンさんは歌を歌われていて、現役のお医者さんでもあります。先日、僕の知り合いが面白いことを言っていて「二足のわらじも履けないヤツが一足のわらじをちゃんと履けるわけねえだろ」と。

へえー(笑)。

——たしかにそういうことなのかもしれないし、何だか今の時代っぽいなあと。あと「ひとつのことに専念しろ」という考え方って、ちょっと嫌がらせに近いような気もするんですよね。仮にひとつの仕事を選んだとしても、将来的にその仕事が合っていたか/いなかったかを判断するタイミングさえないまま歳を取ってしまう場合も多い。そう考えると二足でも三足でもわらじを履いて、合わなければ辞めればいいという考え方って、もしかしたら人間にとってすごく優しい考え方なのかな、とも思えるんですよね。

そうかもしれませんね。たとえば身体のコンディションひとつでもすごく向いていると思える日と、やっぱり向いてないなと思ってしまう波が来ますよね。でも二つのことをやっていると、今日はこっちをやって楽しかった。でもその中でもちょっとうまくいかなかった時があるのを、もうひとつのほうで補えるから楽しめるということもある。片方がダメでももう片方に活路を見出すとか。

——例の清原さんも何か違う仕事をひとつ持っていたら……。

あんなことにならなかった?

——とか思ってみたり。同情というか、別に彼のことがすごく好きなわけじゃないんですが、何だか可哀想だなあと思えてしまって。

詳しくは分かりませんけど、追い込まれる感覚に襲われていた、というのは、もしかしたらあったのかもしれませんね。

——医学の道への興味はいつ頃から?

うちの父親が小児科医で、小さな町医者をやっていたんです。遊びに行くと注射器とかあったので、まあ針はついていませんでしたが、お医者さんごっこが本物の注射器だった、みたいな感じでした(笑)。日頃から病気の方の症例の写真なんかに接していたので、それで免疫がついちゃったみたいで(笑)。医療が身近にあった分、選択肢の中に入り易かったのかもしれません。

——つまり幼少の頃から、歌と医療の両方が頭にあった?

そうですね。ピアノもどんどん好きになっていたので、父親に「高校から音楽科に行きたい」と相談したら、「若いうちに道を狭めることはない。いろいろやればいい」と言ってもらえて。大学受験の時も父から「お医者さんになっても音楽はできるし」というアドバイスがありましたね。

——お父さん、素敵ですね。「どっちかにしろ」と言いがちなものなのに。

父も絵が好きで、でもそれだけでは食べてはいけないだろうっていう思いがあったみたいで。当時の時代的にも、まだ外国籍だったから手に職があったほうがいいだろうという上でのアドバイスでもあったみたいですね。

——じゃあ、むしろわらじという意識もなく、最初から二足のわらじを履いていたわけですね。

そうですね、わらじなんて思っていなかったかもしれない(笑)。歌手になってCDデビューするというお話も、医者を始めてから早々にいただいていたので。なので、実は医者も歌手も同じぐらいのキャリアなんですよね。途中からもう1個プロの仕事が増えたという感じではないので。両方やっていることが当たり前のようにここまで来ましたから。

——活動の歩幅はそれぞれ一緒ですか。

一緒かもしれない。どっちもフルタイムでやってない感じですし。平日は医者で、週末は歌手という感じだから。のろのろと、でも、ずっとやっている感じですね。その都度、疑問に思う時もあるんですよ。「これでいいのかな?」って、フルタイムのプロの方の仕事のを見ていると、同じように肩を並べて働いては申し訳ないのかな、みたいな葛藤もいまだにあるし。でも長く続けてきたせいもあるし、時代の変化もあって、最近は「こういう形もあるよね」と、周りの方のほうがよく理解して下さっているので。

——二つやられていることでの作用はありますか? 例えば小椋桂さんは銀行員の傍らで曲を作って、最初は隠していたんだけど、いつの間にか音楽を作っているということで営業になったという話をどっかで読んだことがあるんですけど(笑)例えば「アン・サリーさんが診てくれる病院があるらしい」と外来患者さんが来るとか。

それは全然ないですね(笑)。たまたま来たら「アンさんですか?」って気付かれる患者さんはごく稀にいらっしゃいますけど。患者さんの前では完全に医者カラー一色なので、あまり気付かれないのかも(笑)。

 ——「先生、ずいぶんといい声ですね?」みたいな患者さんは?

そんな場合じゃないですよ。たとえばお年寄りの患者さんだと耳が遠いので、私が大声で「○×さーん!!」と怒鳴って、あちらが「はぁ?」みたいな。もうドリフのコントみたいなやりとりだってたくさんあるし(笑)。

——でもどこの病院か分かるなら行ってみたいというファンの方もいらっしゃるでしょうね。

むしろあまり知られたくないんですよ。歌手で医者だから病院来て下さい、みたいな使い方は絶対にしたくないので。でも、私の歌のリスナーでいて下さる方は、まだ年齢層がそこまで高くないので、具合の悪い人ってまだ少ない気がするし(笑)。そのうち私と一緒に年齢層が上がってきたら自然と増えちゃうのかもしれませんけどね(笑)。

 

揺らぎを楽しむという悦楽

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——アンさんはレコード育ちですか? それともCD育ち?

小さい頃、家にレコードはあったんですけど、途中でCDになりましたね。そういえば、昔、CDのプレーヤーを買ってもらった時、搬送する時の金具みたいなのがずっと付いたままで、プレーヤーにCDを入れても聴けない時期が1、2年ぐらいありました(笑)。

——ずいぶんと長いな(笑)。

で、結局カセットとか聴いてたのかな。

——今回、アナログもリリースされましたよね。

それはレーベルの方からの発案だったんですが「いいね、それ」ってすぐ反応して。

——アンさんにおける“歌手 アン・サリーの素”みたいな音楽とは?

世代的な御多分に漏れず『ザ・ベストテン』とか、よく観ていましたから、聖子ちゃんとか、よく聴いていましたね。細野(晴臣)さんが作った曲(「天国のキッス」「ガラスの林檎」「わがままな片思い」「ピンクのモーツァルト」)とか、すごく好きでしたね。あ、「裸足の季節」や「小麦色のマーメイド」も(笑)。いろいろありますね。

——なるほど。歌謡曲以外にはありますか?

私は韓国三世なのですが、私が小さかった頃はまだ一世が元気で、親戚の寄り合いみたいな会があったんです。そこでみんなが集まるとお酒を呑んで踊り出して、普段はそんな素振りすら無いおじいさんが、急にめちゃめちゃ上手く楽器を弾き出したりするんですね。そういう時の大人たちの芸能力の高さには驚きました。それは多分、民族音楽からの流れで染み付いているんでしょうね。だから学校の運動会に行けば、みんな踊り始めるし、結婚式だって絶対に踊り歌いまくって終わる(笑)。そういう時にやたらと歌の上手かった人や踊りの上手かったおじいさんには、意外と影響を受けているのかもしれないなって。

——ご自身の中にもそうしたDNAのルーツは感じますか?

あまり意識はしていませんが、きっとあるんでしょうねえ。たとえば「トラジ」とか歌うと、やっぱり出るんですよね。あと、私、歌で変な節回しをするみたいなんですよ。自分ではそれが心地よかったからそうしているんですが、もしかしたら少しルーツが顔を出ているのかも(笑)。

——アンさんの「トラジ」はたしかに素晴らしい。

8分の6拍子みたいな、ああいうリズムに弱い。興奮してくるんですよ(笑)。

——8分の6拍子ってどんな曲がありましたっけ。

(※スタッフから「みかんの花」、「あめふり」、「仰げば尊し」など)

(一同) あぁー!

3拍子が2回出る曲で、ジャズだと「マイ・フェイバリット・シング」とか。でもちょっとノリが違うな。韓国のそれはもうちょっと跳ねる。

——民謡で言うと「津軽じょんがら節」みたいな曲とか、チューニングやリズムが僕たちの想像を超えている感じですよね。

(鳥羽の友人のハナイさん)すみません、ちょっと会話に割って入っちゃいますね。僕、浄瑠璃を習っているんですが、普通のメロディをわざとフラットさせるところがあるんですよ。それは曲のストーリーが、子供の死んじゃったお母さんが柳の精で、その柳を切られちゃう場面を弾くところがあるんですが、悲しみを表現するためにちょっとだけフラットさせるんですよ。するとメロディは明るいのに、すごい悲しく聴こえるんです。

深いですねえ。 

——ちょっとズラすって大事ですよね。ちょっと心に残すためには、ちょっとズラす。料理の味でも、やっぱり気候的に塩を強めのほうが今日はインパクトあるっていう時は塩を強めにいれるし、ここは薄めのほうがいいだろうという時は薄めにする。その塩梅が調整できる料理人は強いんです。aikoさんっているじゃないですか。あの人って常にちょっとズレてると僕は思っていて。でも、常にズレるっていうのは技術であって、下手とか音痴というわけではないし。ジミヘンも、ローディーが渡したギターをちょっとズラして弾いていたし。

そういえばニューオーリンズを訪れた時も、微妙に全部がズレている人とかいましたね。でもそのズレ方がすごく気持ちいいという。わざとなんですが、ちゃんと意味があるズラし方で。街中が微妙に上手にズレるという名手ばかりで。そうするとオンタイムで歌うのが気持ち悪くなっちゃうんですよね(笑)。暑さとか、食べ物とか、全部がズレるっていうことの気持ちよさを感じる環境として整っているというのも大きいですね。

——憂歌団の木村(充揮)さんは、必ずお客さんが求めるポイントで歌に入ってこないそうですね。必ずはぐらかす。しかも、もう何小節もズラすんで揺らぎではないし、計算ではなくてエンタテイメントだと思うのですが(笑)。

勝負師ですね(笑)。私も木村さんの歌、大好きです。

——コーヒー業界では70年代後半ぐらいから味の揺らぎが許されなくなった。だから機械化されていったし、製品の工場とかもすごく厳しい管理をしていくようになったんです。でも僕が最近よく社員に言うんですが「いやA君が淹れたコーヒーとB君が淹れたコーヒーは絶対に味が違う。どんなにやったって違うんだ」ということでして。だから誰かと同じように淹れたり、ずっと同じ味に淹れることが大事なのではなく、「君が淹れたコーヒーは美味しいよ」とお客様に言われるようにならないとダメなんだということを言っている。そうすると技術ではなく精神論に近くなってくる。まああまりに毎回揺らいじゃうと、それは歌でいえば音痴という話になっちゃうんですけど(笑)。

つまり揺らぎが味に入り込む余地があればあるほど、豊かな世の中ということになるのかしら?

——そうですね。そういうのって、すごく大事なことじゃないかと思うんです。

作る方も受ける方も揺らぎを楽しめたらいいですねえ。結局、音楽も人間がやっていることだし、意図的かどうかに関わらず揺らぐものなので、それも込みで楽しんでもらえる余裕を皆さんに持っていただけたら有難いですねえ。

——あとは“キメるべき時はキメる”という感覚が大事なのかなって。その一瞬に強い人が、世界的にもすごく評価されている感じがしますね。いつもいい加減だけど、キメる時にバシッとキメるから、この人はカッコいい!みたいなのって、昔からあるじゃないですか(笑)。

そうですね。いつもキメ過ぎていても違いが分からないし面白くないかもしれないですものね。私、最近、不幸があって、お経を聴いたんですが、心が痛んでいる時、お経って本当に救ってくれるんだなあと初めて思えました。たまたま運よく素晴らしいお坊さんのお経を聴けたんですが。あの「南無阿弥陀仏」と言ったら本当に救われる感じって、ジョアン・ジルベルトのCDを聴いている時の感覚と近いんですよね。

 

歌手仲間との関係 詞と曲の関係

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——アンさんは話している時と歌っている時の声の感じにあまり差がないんですね。まったく違う人もいるじゃないですか。

そうですね。あまり違わないほうが自分でも理想なので。違うのもそれはそれで発声法なのでしょうけど。単なる好みですけど、私はそのままがいいなと思っていて。

——たとえばアンさんが“ふたりのルーツ・ショー”で共演されている畠山美由紀さんは、同じ女性歌手でもキャラクターが全くアンさんとは異なりますよね。仲良しだけど、全くキャラがかぶらない感じが興味深いなと。

彼女は私からすると本当に尊敬しているフルタイム歌手。時間の全てを歌手として使っている方ですね。私がぼーっとしているから、ちゃんと歌手としてのステージングを見せる彼女とのコントラストが際立つのかな(笑)。

——でもそれはすごく面白いことで。そういう作用の相手って、なかなか見つからないじゃないですか。僕が以前、女性に振られた時に言われて引っかかった言葉があって。「生まれた環境も育った環境も全然違うのに」みたいな言われ方をされたんですが、あらためて考えると「いやいや、生まれた環境と育った環境って、全員違わないか?」と思ったんですよ。兄弟でさえ違うって思っているはずなのに、なんでそんなことを言われたんだろうと。それって自分が話を綺麗にまとめるために言っているんじゃないかって。

あはははは!(笑)

——で、あの“ふたりのルーツ・ショー”を思い出すたびに、その言葉をぽっと思い出すんですよ。片や気仙沼(畠山)、片や名古屋(アン)で育った者同士がこうして意気投合して歌っているのって、面白いなあって。二人のキャラクターも全く違うし。

彼女は玉ねぎみたいなんです。剥いても剥いても芯が分からない(笑)。すごく奥深い人というか、明るいのか暗いのか分からない人(笑)。剥いたら“暗い”が出てきて、もう一回剥いたら“眩しい明るさ”が出てくるという繰り返しで。でもそこがまた魅力なんです。

——おふたりでいる時ってどんなお話を?

すごく気遣いの人なので、いつもこちらの心情を察しながら話してくれるんですよ。私も美由紀ちゃんの前では素の自分で、本当に思っていることだけを言いたいなと思っていて。歌を歌う時も、彼女とは「こういう時はこうやって歌っているけど、どうかな?」とか「ああ、私はこうだね」みたいな、普段なら人と話さないような、かなりコアな歌手同士の話もできるんです。あとはお互いに幼少期や辛かった頃なんかに、ひとりで部屋を真っ暗にして歌っていた、みたいなと過去があって。そういう話をしながら二人して涙ぐんじゃって(笑)。

——距離が縮まったきっかけは?

スタジオで美由紀ちゃんと初めてPort of Notesの曲をデュエットした時ですね。歌っている時、隣ですごく興奮しているのが歌声から伝わってきて、すごい化学反応が起こったんです。ちゃんと誰かと興奮し合えるというか、いい意味で感動屋さん。それ以来、一緒に歌うと互いに互いを興奮させ合う波長が出る感じで。興奮体質なんでしょうね。芸術家肌とも言えるし。巫女さんみたいに、霊がいきなり憑依する、みたいな感じですね(笑)。

——たしかに畠山さんは巫女さんっぽいところがあるのかも。というか歌手は巫女さんみたいな人、多いですよね。お二人は互いに持ってらっしゃるアンテナの種類が違うのかな。

というよりも、興奮のしどころが似ているのかな。

——アウトプットの仕方が違うだけ?

そうかもしれない

——“ふたりのルーツ・ショー”で、ポルトガル語の曲を歌われていますよね。外国語と日本語で歌うことは、ご自分の中で表現という意味ではどう捉えていらっしゃいますか?

全体の意味を理解した上で歌おうとは心がけていますが、やはりポルトガル語より英語、英語より日本語のほうがダイレクトに表現し易いですね。歌い始めた頃はあまりよく分かっていなかったけど、昔から好きで胸を打たれる人の歌をよくよく聴くと、英語でも日本語でも、すごく有機的に音と単語が結びついて表現されているんですよね。そこからひとつの世界が出来上がって、素晴らしい音楽として成り立っているのだと思います。それが無いと、ただの音になっちゃうというか、あまり意味のない音楽になっちゃう。歌詞の意味に集中して、その言葉と音が融合するバランスを考えます。やればやるほど歌が味わい深くなってくれたらいいし、もっとそういう方向に行きたいなと思っています。

——アンさんが、他の方が書かれた日本語の歌詞に曲を付けるというパターンもありましたよね。

あの時は50ぐらいの歌詞の中から選ばせていただいたんです。メロディを付けて歌おうと思ったら、やっぱり歌になるべき歌詞みたいなものはあるなあと思いますね。普通の感覚だったら出てこないような言葉があったりして、キラっと光っているなって。たまたま親類に彫刻を掘る人がいるのですが、彼は自分が掘ろうと思い描いた姿があって、それが出てくるのを待っているそうなんです。いらないところを削るだけで、彫刻というのは木の中に埋まっているものだと。

——ああ、つまりメロディも掘り出すもの?

そうですね。歌詞が求めているというか、結びついているメロディがあって、それを彫刻のように掘り出すという感覚なのかなって。

——ちなみにご自身で曲を書く時は詞が先? メロディが先?

そこまで数は書いていませんけど、メロディが先ですね。でもやっぱり切っても切れないメロディと歌詞ってあると思うので、意識としては同時進行かもしれない。正直、ある時期まではポルトガル語や英語の音楽を聴く時って、曲ありきだったんですよ。でもそれってもしかしたら、音楽の半分以上を理解していない聴き方をしてしまっていたんだなあと思うんです。でもニューオーリンズを訪れたら、向こうの人々の中では、歌詞と音がしっかりと結びついていた。それこそトランペットの人がスタンダードな曲を吹く時も、歌詞を思い浮かべながら吹いていると言うんです。それってすごいなあって。ということは、ラッパの音を聴いたら歌詞が浮かぶような音楽でなければ!と、気付かされました。

——それで言うとスタンダードやカバーだといかがですか? 歌の中に埋まっている自分の姿を思い描いて掘り起こすのか、または埋まっている姿が自分では三角だと思っていたけれど、歌ってみたら意外と丸だったな、みたいなことになるのか。

両方ともあるかな。頭だけで想像していたのと、実際に声帯から身体で鳴らしてみたのとでは違う時もありますし。そういう感じを掴んでいくのも、歌うのと同時進行かもしれない。で、それがいい方へと転がると、自分でも長く歌いたいと思えるカバー曲になる。だから歌ってみないと分からないところも多いですね。

——ご自身の中で、好きだけどまだまだ成長していきそうな歌はありますか?

どの曲もそうですけど、歌ってほしいというリクエストが多い中では「蘇州夜曲」かな。今歌う「蘇州夜曲」と、CDに入っている「蘇州夜曲」とでは、もう全く違うんです。その年の生活環境とか、筋肉やら贅肉の付き具合とか、喉の調子やら体調やら精神状態などの変化で全く違う歌になる。もしかしたら完璧な「蘇州夜曲」というものはなくて、その都度変わっていく「蘇州夜曲」を自分でも楽しめばいいのかなとさえ歌に思わせられてしまうというか……すごい曲だなあと思いますね。

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(プロフィール)

アン・サリー……幼少時からピアノを習い、音楽に親しむ。大学時代よりバンドで本格的に歌い始め、卒業後も医師として働きながらライヴを重ねる。 2001年「Voyage」 でアルバムデビュー。2003年「Day Dream」「Moon Dance」では、洋の東西を問わぬ新旧の名曲をオリジナルに昇華した歌唱が好評を博しロングセラーに。医学研究のため、2002年から3年間をニューオリンズで暮らし、地元の音楽家と現地で収録。帰国後にその音源をアルバム「Brand-New Orleans」として発表し、話題を呼んだ。現在は医師としての勤務の傍ら、日本全国でライヴ活動を行い、2児の母となった2007年には「こころうた」を、2008年11月には、書き下ろしオリジナル曲「時間旅行」(マキシCD)を発表した。時代やジャンルの枠を超えた、柔らかくも情感あふれる歌唱と、そのナチュラルなライフスタイルが幅広く支持されている。

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