毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第16回目はスタイリストの馬場圭介さんと、コーディネーターの大塚博美さんのお二人を迎えてお送りします。
業界きってのベテランスタイリストである馬場さんと、日本ブランドのパリ進出の裏に彼女ありと言われる大塚さんは、今年で結婚10年目を迎えるご夫婦です。
パリと東京。一年の大半を離れて暮らしているという独自の生活スタイルから、二人の出会い、仕事の原点、さらにはお二人がファッションやブランド運営について重要だと考えるポイントについてなど、様々な話題を鳥羽伸博と語り合います。
今回はまず前後編の前編をお届けします。ぜひともお楽しみください。
(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:石毛倫太郎。構成:内田正樹)
——トランプが勝ちましたね(※この取材の数十分前に米大統領選の結果が確定した)。
馬場:勝っちゃったねえ。フロリダを取られた時点で、もう終わりだったねえ。
大塚:ヒラリー、どんだけ嫌われてたの?っていうことだよね(笑)。
——でもヒラリーの嫌われ方っていろんな角度がありそう。「あのおばさん気に入らねえ」とか。
馬場:お高い女と下品な男の闘いだったもんね。「だったら男のほうがまだいい」ということか。
大塚:下品な男の支持者が多いっていうことだよね。
馬場:お高い女よりは扱いやすいのかな? でもこのあと安倍と面白えぞお……ところで、このコーナーはいつもみんな何を話しているの?
——コーヒー以外の話が多いですね。
馬場:そうなんだ?(笑)
大塚:コーヒーミルの話とかしない?(笑)
——そういえば、馬場さん、さっきお店でコーヒーミルを探してましたよね?
大塚:馬場がどっかでコーヒーをもらったらしいんだけど、ミルが無いから飲めないんだって。その前に鳥羽君からもらったやつもミルがなくて飲めなかったから。
——え? それ、いつのやつですか? もしかして……。
大塚:そうだ、令子(※恵比寿の会員制バー「カスバ」の主人)の結婚式の時のやつ。
馬場:それ5、6年は経ってるな。
——冷凍保存はしていますか?
大塚:ううん。コーヒーって腐るの?
——腐るというか酸化しますね。
大塚:ダメかも(笑)。
——ダメですね。コーヒーの賞味期限は一ヶ月くらいですよ。お二人は出会って何年目ですか?
馬場:出会ったのが20歳ぐらい?
大塚:20歳ぐらいだった。
馬場:違う違う、お前が20歳で俺が21だよ。
——長谷川きよしの歌みたいですね。
大塚:私、19だと思うよ。大学1年じゃなかった?
馬場:20歳の頃だよ。俺、東京にいたもん。
大塚:あ、そう? じゃあ大学2年だ。はい、私が20歳で知り合いました(笑)。馬場が新宿ツバキハウス(※かつて東京・新宿にあったディスコ)に通い過ぎて、大学をクビになって中退して(笑)、ある日、故郷の熊本に帰ってきてディスコに現れたの。
馬場:昼は麻雀。夜は居酒屋でバイトして、夜中にツバキに通っていたら大学二年で除籍になって。で、親が「とりあえず帰ってこい」というので地元に戻って。
大塚:私は出身は佐賀だったんだけど、熊本で真面目な大学生やってたの(笑)。
——熊本のディスコってどんな感じだったんですか?
大塚:当時は熊本に一軒しかなかったね。でも東京の人も知る人ぞ知るという店だった。
——そこで出会ったんですか?
馬場:いや、出会ったのはヒューマンズーだよ。熊本で初めてのカフェバーみたいな店。
大塚:え、そうだったっけ?
——それが80年代初頭の話ですね。
馬場:うん。で、洋服屋でバイトをし始めて。するといろんな人と知り合うじゃない? 目立っている人に。小さな町だから目立つヤツはすぐに目立ったから。その頃の熊本ってとにかくオシャレだったんだよ。
——たしかにファッション関係には熊本出身の方って多い印象があります。
大塚:そのカフェバーに高校時代の大森仔佑子ちゃんとか来てたもんね。島津さん(由之。スタイリスト。熊本出身)はもうパリか東京にいたのかな?
——熊本に戻った馬場さんが博美さんと出会って。そこからの付き合いですか?
馬場:長いよね。
大塚:長い。
——結婚して何年ですか?
馬場:何年だっけ?
大塚:Facebookいわく今年で9年目だってさ。だから来年で10周年ね。本当にFacebookってうちらみたいなのにはぴったり(笑)。っていうかお互いに結婚記念日も覚えていたことないし。すぐに忘れる(笑)。
馬場:そうだよな。4月20何日かなんだけどね。
大塚:エリザベス女王の誕生日と同じって言ってたよね?
——(笑)。しかしそれだけ付き合いが長くて、なぜあらためて結婚しようという話になったんですか?
馬場:……老後?
大塚:それだね(笑)。
——老後(笑)。
馬場:いや、ほら、もう気心知れてるから楽じゃん? 博美はパリにいるから365日一緒にいなくても済むし。俺もこの人も、そんな1年中は一緒にいれないし。
大塚:馬場はひとりっ子の血液型Bだから、基本的にひとりの時間が好きだもんね。
馬場:うん。Bが多い時は、Aがひとりでもいると楽なんだよね。Bは言いたいこと言ってまとめようとしないけど、A型はちゃんとまとめてくれる。
——でもうちの父親はAで、周りがみんなBなんですけど、そうなると逆になるんですよ。親父が言いたい放題言って、結局Bがまとめていかざるを得なくなって。
馬場:それは血液型関係ねえよ。ヒエラルキーの問題だろ(笑)。
——そうか(笑)で、馬場さんは熊本に戻った後、ロンドンへはいつ渡ったんですか?
馬場: 84年かな。
——馬場さんがロンドンに行った頃には、博美さんももうパリへ?
馬場:違う。俺が帰ってきて入れ替わりで行ったんだよな。
大塚:そうそう。
——じゃあ昔からあまり一緒にいないんですね。
大塚:うん。でも大学生の時からずっと一緒に住んではいたの。で、馬場がロンドンで古着とかいろいろと買い付けて、それを私が熊本で開いていたちっちゃいお店で売ってね。
——つまりくっついたり離れたりというのは地理的な問題だけで、付き合ってはいた?
二人:そうそう。
大塚:そのお店はねえ、今、東京で活躍している人とか、高校生の頃に買い物に来ていたような店だったの。
——ほお! その頃、馬場さんはどんな服を博美さんのお店に送っていたんですか?
馬場:古着とか。
大塚:バンズリーが作っていたような偽グッチみたいなロゴが入ったTシャツとか、その頃クラブに通っていた若いデザイナーの服とかね。
馬場:そういうブートが流行った頃だったんだよ。
大塚:そうそう。あとベンツのネックレスとかね。ヒップホップ系のはしりぐらいの頃だったのかな。
馬場:だからその頃はバンズリーとかヴィヴィアン・ウエストウッドの息子とか、結構面白いヤツと知り合ったよ。
——そのお店は何年ぐらい続けたんですか?
大塚:馬場がロンドン行っていた間だから2年弱ぐらいかな。で、馬場が帰ってきたし、お店もちょうど立ち退きがかかったりしていたから、今度は私がパリにでも行こうかなと思って。
——馬場さんはその頃、ロンドンで大久保篤志(スタイリスト)さんにロンドンで会ったんですよね?
馬場:そう。誰かに紹介されて、大久保さんの仕事を手伝ったんだよ。そこから「お前、帰ってどうするの?」「いや、決めてないです」「じゃあ俺のアシスタントやる?」「あ、やります」となって。
大塚:ちょうどその時に、強(野口強。スタイリスト)と一緒だったんだよね。
——後に大巨頭になるアシスタントたちですね(笑)。
大塚:濃かったねえ。
——アシスタントは何年ぐらいやっていたんですか?
馬場:1年。強も1年だった。たしか一緒に辞めたんだ。
——独立するために?
馬場:というよりも、単に一年経った頃、「そろそろいいかな?」と思っただけ(笑)。でも面白かったなあ。大久保さんも俺も強も全員運転免許を持っていなくてさ。なぜか(「カスバ」の)令子が運転して、4人でリースに行ったりしていたんだよ(笑)。
大塚:その4人は濃いなあ(笑)。
馬場:大久保さんは当時イケイケだったね。俺と歳3つしか違わなかったんだけどね。強も26ぐらいで、めっちゃ可愛かったんだから。
——たしかモデルをやっていたんですよね。僕も先日お会いして、髪をまとめている仕草を見た時、横綱級のカッコよさだなって思いました。
馬場:そう。本当に可愛かったんだよ。今は腹立つけど(笑)。
——博美さんはどうしてパリに行かれたんですか?
大塚:私はその頃はもう28.5歳ぐらいになりかけようとしていた頃で、ほら、女の人って日本だと30歳になったら、ちょっと女の人生終わりだな?みたいな言い方、あったじゃないですか?
——当時はそうなのか。今は30なんてイケイケですもんね。
大塚 :そうそう。しかも熊本にいたから、もう誰でもみんな知っているわけ。10年以上も同じグループで遊んでいかたら。
馬場:飽きるよね。
大塚:私、熊本でテレビの番組とか出ていたの。トークショーとかのMCをやっていた(笑)。だから道を歩いていると、知らない人にまで知られていたから、みんなとっても親切で、このまま人生を終わっていいのかな?と思い出して。もっと見たことないところを見たいなあと思って、昔からパリが好きだったし。
——それはどうして?
大塚:母が、若い頃に洋裁学校を出ていて、パリに行きたかったんだけど、結局父と東京に駆け落ちして私が生まれたらしくて(笑)。母はその頃、パリコレ特集とかの雑誌をいつも取っていて、ピエール・カルダンの服をコピーして縫っては私に着せてくれたりしていたの。だから私も幼稚園の頃はパリコレに出るようなデザイナーになりたいと思っていたのね。
——幼い頃からパリコレが刷り込まれていたんですね。
大塚:そうそう(笑)。で、1年半ぐらいと思って何となく行ったの。そうしたら1年半がもう来年で30年(笑)。
——すごい。よっぽどよかったんですね。
大塚:B型の気質に合ったみたい(笑)。みんな自由勝手で、人の目とかどうでもいいみたいな感じだし。こんな感じでも良いんだ!って(笑)。
馬場:俺は歳をとってからパリが好きになったね。若い時はイマイチ物足りなかった。歳をとるといい街だよ。のんびりしていて情報も大して入ってこないし。
大塚:そうそう。ちょっと村っぽいというか。
馬場:やっぱりロンドンは都会じゃん? よく言えば東京っぽい。
——今はちょっとアメリカというかブルックリンっぽくなっちゃっていますけどね。
大塚:そうね。でもそれはパリも同じ。ブルックリン化している(笑)。カフェとかいっぱいできて。サードウェーブとか。流行に便乗している感もあるけどね。
——それでもパリは変わってきたと言っても、まだ変わらないほうですもんね。
大塚:オヤジカフェがなくなって寂しいかな、ぐらい。いかにも昔からある、床にいっぱい吸い殻が落ちているようなオヤジカフェがね。みんなオシャレになっちゃったから。
——30年、いろいろありましたよね。
大塚:いろいろありました。
——言えないようなこととかありますか?
大塚:それはちょっと、うちの父の目が黒いうちは言えないかなぁ(笑)。
一同:(笑)。
馬場:いや、本に書いたら絶対面白いよ。
大塚:父に怒られるから本は出せないよ(笑)。
——博美さんがパリにいた当時、お二人はどうやって連絡取り合っていたんですか?
大塚:まあ電話かな? でも連絡はそれほど。今でも離れている時はあまり取り合わないもん。
馬場:うん。ほぼ、全然。
大塚:一度(パリに)行っちゃったらもう全く。帰る間際ぐらいになって「チケット買ったよ」とか。
——そうすると馬場さんは部屋を片づけたりするんですか?
馬場:一応はキレイにはする(笑)。まあそんなもんだろ?
——(笑)。じゃあ博美さんはパリに行くまではほとんど熊本しか知らなかったんですか。
大塚:セレクトショップをやっていたから、買い付けで月の半分ぐらいは東京に行っていたの。だからあらためて東京に行くという選択肢もなかった。東京に行っても、熊本と状況はあまり変わらないから。みんな知っていたし、あちこちに遊びに連れてってくれたり、美味しいところに連れてってくれたりするじゃない? そうじゃなくて、すごく困りたいなって(笑)。だからパリには困りに行ったの。
馬場:あの頃は東京に出るのも海外に行くのも一緒じゃん?って感じだったもんな。要は決心だけで。
大塚:そう、九州の人は意外とボンと出ちゃう(笑)。それで17万円だけ持ってパリへ。私、その時3万円しか持っていなかったのね。そしたらお母さんが4万円くれて、
あと10万円はおばあちゃんがくれたの(笑)。おばあちゃん家に行って、「7万円しか持ってないんだよね」って言ったら包んでくれて。
——それ、おばあちゃんには返しましたか?
大塚:あ、返してない(笑)。
——でも17万円だけで住みに行くというのもなかなかですね。向こうに着いてから最初はどうしたんですか?
大塚:どこでもいいからいちばん初めに見つけたところに住もうと思っていたから、着いて翌日に見つけた2万円の部屋に住み始めたの。すっごくちっちゃくて汚いところ(笑)。でも、ほら、困りたかったから(笑)。
——そのテーマいいですね。“困りたい”(笑)。どの辺に住んでいたんですか?
大塚:今流行りのピガールの下のほう。サウスピガール(笑)。
——今じゃ2万円の部屋なんて見つからないあたりですよね。
大塚:うん。最近はイケてるエリアになって。なぜかその部屋は壁が黄緑に汚く塗られていたの。前に住んでいた人がノイローゼか何かでちょっとおかしくなっていなくなっちゃったらしくて(笑)。
一同:(笑)
大塚:それで生まれて初めて東急ハンズみたいなところに行ってペンキ買って自分で塗ったわけ。そういうのがすごく嬉しいの。困ってるから(笑)。でも手が届かないから天井は黄緑が残って(笑)。黄緑色を使ったマチスか何かのポスター買ってきて、ちょっと色合わせをして貼ってみてね。わざと黄緑をアクセントにした部屋、みたいにした(笑)。トイレも部屋にはなかったからね。もう使えないぐらい汚い共同トイレが廊下にあっただけ。もう、ほんと困る感じ(笑)。でもそれも楽しいわけ。そういう体験、熊本では絶対に出来なかったから。“パリで困ってる私”がもううれしかったわけよ。
——じゃあ言葉も向こうに行ってから覚えたんですか?
大塚:そうです。1ヵ月学校に行きました。でも1ヵ月とかじゃ通っても全然ダメで(笑)。結局ハム1枚も買えないから、学校行かずにカフェでぶらぶらしていたら、いろんな人から「今夜うちでパーティやるから来ない?」とか誘われて、そういう場所に行くようになって。するとフランス人の友達がいっぱいできて、そこからようやくでしたね。
——仕事はあったんですか?
大塚:日本でバイヤーのような買い付けの仕事をいただいたので行けたんです。だからその仕事で月10万くらいはもらえていた。家賃が2万円だったから、あとは何も買わなければ何とか生活はできたの。
——でも何か買っちゃいますよね?
大塚:買わなかった。本当にお金なかったし、困りに行っていたから(笑)。自分の物は住み始めて半年経った頃に、ようやくクリニャンクールの蚤の市で2千円ぐらいのジャケットを一枚買ったなあ。
馬場:あと、あの頃はまだネットもなかったから、海外に住んで日本に情報を送るだけでお金になっていたんだよね。
大塚:そうそう。送ってた!今でも「情報を毎月送ってください」という話は来るんだけど、情報だけだったらネットの方が確実に早いよね(笑)だから今は何を情報としたら良いのかなって。かえって難しいの。
——そこから現在のコーディネーターになったきっかけは?
大塚:たしかパリに住んで2、3年が経った頃に、ソニア・パーク(※スタイリスト)さんが仕事でパリに来ることになって。「アシスタントを探しているんだけど、誰か知らない?」と聞かれて、「知らないけれど、何をすればいいの?」、「アイロンかけたりとか」、「それぐらいだったら私が行く」となって。そうしたら、その時にキャスティングや場所を決めるコーディネーターの人がいたんだけど、ソニアとやっていたら楽しくなっちゃって、「次は博美さんがやればいいんじゃない?」と言われて。それがきっかけでしたね。
(次回に続く)
(プロフィール)
馬場圭介……スタイリスト。1958年熊本生まれ。26歳で渡英し、スタイリストの大久保篤志氏に出会う。帰国後、大久保氏のアシスタントを務め、1年後に独立。今日までに数多くのミュージシャン、俳優、タレントのスタイリングを務める。2004年、ナノ・ユニバースと協業でスタートさせた、プリティッシュロックとミリタリーを合体させたブランド“GB”のディレクターとデザイナーを兼任。2007年から2009年には、ユニクロのコラボTシャツ企画に参加した。2011年秋冬からは自身がディレクターを務める“ENGLATAILOR by GB”がスタート。更にDJとしても活躍中。大御所のスタイリストの一人として、日本のファッション界を支える第一任者である。
大塚博美……在仏29年。フリーランスのファッションコンサルティング、コーディネーター、キャスティングとして活動中。パリで行われるファッションショー、展示会、イベント等で日本の才能溢れるクリエーターの海外進出をサポートする“パリ母”として知られる。また、日本人フォトグラファーはもちろん、海外フォトグラファーとも世界各地の撮影をアレンジしている。