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2018.01.12 COFFEE PEOPLE ~ Vol.23 矢部慎太郎 × 綾小路むり子 ~

毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第23回目は矢部慎太郎さんと綾小路むり子さんの登場です。慎太郎さんは銀座随一の名ゲイバー、“サロン・ド慎太郎”のママ。そしてむり子さんは、慎太郎さんが京都祇園でデビューした頃の先輩で、縁あって今年4月から“サロン・ド慎太郎”に入店されました。各界の著名人や文化人、財界人も多く訪れる同店で、日々お客様と接し続けているお二人をお迎えした今回は、京都・祇園と東京・銀座の違いや、お二人のアーリーデイズ、さらには現在の“遊び”に欠けている精神まで、大いに語り合っていただきました。ぜひお楽しみください。

(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:石毛倫太郎。構成:内田正樹)

 

東をどりと消えゆくやせ我慢

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——先日、久し振りに東をどりを観に行ったんですけど、最終日が一番華やかなんですね。あれを見て京都の芸妓さんとか舞妓さんを連れて観に行くということが、東京の旦那さんたちのステータスなんだなと思った。まあ、それがいいことか悪いかとか、カッコいいか悪いかとかは置いておいたとしても。要するに東京の人が見栄を張る時に、京都から人を呼ぶ文化って変わっているなと思って。

慎太郎:だからほんとに分かる人が少なくて大変なんですけどね。もうちょっと広めていきたいとは思っているんですけど。だけど祇園の一流芸妓さんは、例えば帯締めは道明(※東京・上野の名店。「有職組紐 道明」)に買いに行くし、草履もぜん屋(※東京・銀座の名店)で買う。やっぱりお互いに憧れなんですよ。

——それは電話も無かったような昔から?

慎太郎:もちろん。もう電車が新橋から京都まで繋がった時も、それをお土産に持っていくわけですよ。たぶん江戸時代だってそうだったんじゃないですか? 情報はわざわざ早馬では運びませんけど、着物は江戸前も全部京都で作っていたんですから。

むり子:東京はあんまり職人さんがいらっしゃらないの?

慎太郎:ううん、いるのいるの。今も新宿にいっぱいいます。でも、やっぱり着物は京都が上等ということになっているんですよ。帯揚げはみんなゑり萬さん(※京都・東山の名店)だし。ムリ子さんは?

ムリ子:私、全く分かんないんですよ。着物は人前で脱ぐもんだと思っているから。

一同:(笑)。

むり子:やっぱりバブルの頃って、先輩方そうなんですけど、着物の方もよくいらっしゃったんですね。私が昔お世話になったのは、大阪で一番老舗だったような古いお店なんです。カルーセル麻紀さんとか、それから十何年前に亡くなった青江のママとかがほとんど同期という。青江のママが『大阪に遊びに来ました』って挨拶に来られるようなお店だったんです。そこのママはやっぱり常に和装なんですけど。ただ、やっぱり昔のオカマちゃんってまだ着付けとか、自分でよう締めれんから、全部マジックテープで帯を作り直していたんです。自分で着られるように。その店、自分が入店した時に創立40年で。

——その時点で。すごい。

慎太郎:そこはナルシスっていいましてね。大阪でいちばん古いお店でした。

むり子:10年前にママが高齢で亡くなって。昔はお嬢(美空ひばり)とか来られたような。オカマちゃんって昔は洋舞軍団と和装軍団ってあって、洋舞の人は宝塚の衣装みたいなので踊ってだんだん自分の身体を見せていくんんですけど、日舞のほうは脱がないんですよ。でもやっぱり自分はお笑いなんで、着物着ているけど、当然それは全部マジックテープで。で、脱いだら最後に下ネタがベロンと出るという。

一同(笑)。

むり子:ですから私、着物いうたら脱ぐもんやと思ってたんですね(笑)。

——なるほど(笑)。僕は慎太郎さんはUOMOやGINZA(※ファッション誌)で読んだ対談がすごく好きなんですが。

慎太郎:あら嬉しい。

——ただ、雑誌のインタビューって、知らないことを慎太郎さんに訊くというパターンが多いと思うんですよ。しかも何かぴしゃりと答えてもらいたいような。それって今の世の中のオネエブームとかそういうノリだと思うんですね。二丁目のバーに行く女の子たちが、何かぴしゃりとしたことを言ってもらいたい、みたいな感じと同じで。でも、もうちょっといろんなことを一緒に考えたり、「こういう風にしたいよね」という感じの話もしたくて。「あんた、そんなんじゃダメよ!」とか、そういうのを求めていないと言うか。でも取材って、割とそう言ってもらいたい感じに話を持っていかれるでしょ?

慎太郎:『何とかなのよ~!』とか言ってないのに、全部オネエ言葉にされたこともありますね。

——僕がサロン・ド 慎太郎を好きな理由は、そういう匂いが無いから。まあ極論ですけど、言われたがる、叱られたがるならSMバー行ったほうがいいじゃんって思うから。

でも慎太郎さんはそうじゃなくて、やっぱり文化として大切にすべき部分が世の中には多々あるということを意識されている。そういう部分も今日はお話できたらいいなと。

慎太郎:ありがとうございます

——むりちゃん、きょとんとするのやめてください(笑)。

むり子:いや、私の出番じゃないわって。

慎太郎:なるほど。例えばTORIBA COFFEEが入っているビルの上階にあるGINZA MUSIC BARもそうだけど、まずテーマがちゃんとあってまとまっていることは、すごく大事。クラブってね、ある人にとっては、30年前に内装したままで女の子も何かよく分かんないし、何がいいかも分からない。でも座って5万円で。まあ、そんなものって言われたらそうも思うけれど、なんかちょっと行く人の気持ちが分からないというかね。

——でもあと20年も続かないでしょう、文化として。

慎太郎:5年先でも危ないんじゃないですか? だって昔はお座敷から始まって、芸者遊びしかなかったんですよ、江戸時代から昭和の戦後までは。芸者しかいなかったのにカフェができて、女性が着物にヒラヒラエプロンから始まって、ドレスになって、文壇バーになって。クラブというのは、元々は大阪発祥ですから。結局華やかなのも」

鳥羽:東をどりを観て、いろいろと思うところもあって。やっぱり今の僕ぐらいの、つまり40歳ぐらいの世代って、男性はもっと直接的なサービスを求める。灯りでいえばLEDを求める時代、行灯ではない時代。明るいほうがいい。だから女性がいるバーではその女性を口説けるのか、その女性と一緒に帰れるのかがポイントであって。同伴って何なんだろう?って、思うところも多少はあるわけですよ。で、多々やはり銀座というのはやせ我慢しなきゃいけない街で。六本木とか新宿に行ったほうが、話は早い。長く来るお客さんよりも、お金を遣うお客さんのほうが強いわけですから。キャバクラというのはまさに象徴だと思うんですよ。ひと座り5万円のお店に費用対効果を見い出せない人が、新宿でひと晩30万遣うわけですよ。

慎太郎:遣う、遣う。もう何百万遣う人もいる。ナンバーワンの子の誕生日のお祝いにマグロ解体ショーするんだって。で、されたナンバーワンが『マグロ嫌いなんだよね』って言っていたけど(笑)。

むり子:あらららら。

——つまり見栄の張り方が、昔と今では違うんだと思うんですが。何かそういうところが、もう今の若い世代には理解しにくいのかなと。

慎太郎:もう無理でしょうね。分かろうとしたって途中でイヤになっちゃうし。すぐには大事にされないから。『じゃあいいよ、金ならあるのに』って。

——だからそういう、何か回りくどい、我慢強くなきゃいけない文化というものが、今や忘れ去られようとしているんですけど、でも実は本当に大事なのはそこじゃないですか。だってお金があれば済むんだったら、お金がなくなったら終わりなわけで。

慎太郎:そうですよ。世の中、全部やせ我慢ですよ。

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港区-ミナミ-梅田-銀座

——つい先日、友人が奥さんと揉めていると。理由を聞くと、その奥さんは主婦として頑張っている。旦那も頑張って仕事をしている。子育ても手伝っている。だけど事あるごとに、奥さんは感謝の印をエルメスのバッグで求めてくるそうで。

慎太郎:ああ(笑)。

——で、それはどういう影響からの考え方なのかと思ったら、たぶんママ友なんですよね。つまり港区に住むことの問題がそこにある。

慎太郎:港区病よ、今流行りの。

むり子:へぇ~

——港区病でしょうね。で、その旦那曰く『もちろんいいものを長く使うならばいいことだと思います。ただ、彼女がエルメスの本当の意味の価値を知っているかといったら、たぶん知らないだろうから違うと思う』と。ちなみに『車は何に乗っているの?』と訊いたら『レンジローバー』と。それで、『ああ、結局、港区病じゃん』という結論になって。お金を教科書に乗っかっているような遣い方をしてしまうのが、今の日本の富裕層の問題なのかなと。

慎太郎:ねえ。だけれども、そういうものを欲しがる嫁と結婚したことがそもそも間違い。

——でも多分、最初はそうじゃなかったんですよ。結婚してからママ友とかの影響を受けて。

慎太郎:私、いつも思うんです。美男美女が幸せに暮らすにはもう田舎しかないんですよ。山奥に住んで人に会わない。だから陶芸家さんって美男美女が多いんですよ。みんな山奥に住んでいる。自給自足をして、嫁も綺麗だし、子供も作って、旦那も何かムキムキしちゃっている。でも愛し合っていてね。だからもう出てきちゃダメなの、都会に。間違いの始まりだから。うちのアルバイトのみんなにも言うの。『陶芸家さんと結婚しなさい。これから売れそうなのを紹介してあげるから』って。港区に住むのは悪くないし、仕事も悪くない、遊ぶのも悪くないの。でも港区に住んでいて、仕事も港区で、遊びが港区だけ、というのはマズいかも。本物の東京の人って、すごく冷静ですよ。田舎から来てやってくると、まあ……。

むり子:『お気の毒に』というパターン、ありますね。

——僕が権力って、好きなものを好き、嫌いなものを嫌いと言う為に持つるものだと思うんです。でも、気付くとそれを言わないことを建前にしてフェラーリ買ったりするわけじゃないですか。本当にフェラーリ好きなの?みたいな。

慎太郎:そうそう。本当に好きな人は少ないと思いますよ。

——僕は古いポルシェが好きなんですが、新しいのは興味ないんで。やっぱり作り手の考えとか想いって大事じゃないですか。

慎太郎:ポルシェはハンドメイドなんですよね。エンジンを8人だか10人がかりで作ってね。流れ作業ではない。鳥羽さんはそれを知っているからこだわるんですね。

——今のポルシェはもちろん値段でいったらすごく高いけど、それこそ陶芸家さんが1個1個作る陶器と、100円ショップで売っているすごく質のいい陶器ぐらいの違いを僕は感じちゃうんです。やっぱり武骨でも作り手のイメージがちゃんと浮かぶものって大事だと思うんです。だからそういう意味では京都って面白い街ですよね。俗っぽいのもいろいろいるし、意外とみんな新しいもん好きで。

慎太郎:だって京都駅で分かりますやん。京都タワーとか、古いもん大嫌いやから京都の人は(笑)。

むり子:確かに。

慎太郎:だけど何かあったら、『うちは500年1000年続く……』『え? いらっしゃったの? 応仁の乱で戦わはったんですか?』言うて(笑)。

——ずばり、銀座や新橋と、京都祇園あたりの違いって何なんですかね。

慎太郎:うーん。そりゃもう西と東との昔から、お公家文化と武家文化の違いからねえ。人もそうですよ。だって京都の人は京都人だし、東京は田舎者の集まりでしょう。本当の東京生まれって少ないもん。だから東京で『東京だよ』とか『港区だよ』とか言っている人はやっぱり田舎の方でしょ? 田舎って言ったら怒られるけど(笑)。私自身、本当に田舎から来ていますからね。だから23区以外は東京じゃないんじゃないか?って、実はずっと思っていて。それは京都で自分がずっと言われていたから。京都は御所から四条までしか京都じゃないんだから。洛中だから。

むり子:自分、住んでいたのは山科なんです。でも『山科は京都じゃない』とか『島流し』って言われていた。

慎太郎:だけど昔はお公家さんの別荘がいっぱいあったんですよねえ。

——慎太郎さんは昔から京都ですか?

慎太郎:学生の頃、北海道から京都にまいりまして。ホテルマンをしながら勤労学生。で、就職難で、くねくねしていたので祇園にスカウトされて。で、身体をざっといじって大阪に引き抜かれて(笑)、24の終わりに今のお店を始めて、28で銀座に移転。今42歳になります。創業17年。50周年に向かって頑張ります(笑)。

——銀座にはなぜ?

慎太郎:よく『銀座が夢だったの?』とか訊かれるんですけど、そんなことは全然なかったというか、よくわからないまま来たんですよ。当時はたまたまビルがガラガラで、私のお店のあったところなんか、半年に一軒、お店が変わっていたんですよ。夢とか希望とか東京を制覇するとか勝つとか負けるとか、全くそんな感じじゃなく、流れに任せていたら。

——でもそれって大事なことですよね。

慎太郎:ねえ。何かやろうと思って上手くいったこと、無いんですよ(笑)。勝ち負けってまずなに?っていう。何に勝つの?って。

——それ、僕、小室ブームの時に感じたんですよ。あの頃の歌って、必ず何が敵だとか悪だとか闘うとかばかり言っていたでしょ。何か自己啓発っぽい歌詞が多かったんですよ。

慎太郎:なるほどね。でも好きだったな(笑)。これ、言ったことないんですけど(笑)。『女帝』っていう漫画があってね、読んだんですよ。で、はあ?と思っちゃって。まあ熊本から出てきたのはいいとして、大阪の十三のスナックで働いて、ミナミから新地も行かずに銀座なわけ。京都祇園、北新地、銀座の私からすると、これしか三角関係ないんです、政財界の。いや、十三も下町でいい街ですよ。ミナミも素晴らしい街だった。でも、新地も知らずに祇園も知らずに、何が銀座なんでしょうねっていうところでね、私すごく疑問に感じたわけですよ。じゃあ私は祇園デビューで新地だから、次は銀座に行くかと思ったわけですよ……あ、銀座に出てきた理由、ありましたというか、分かっちゃいましたね。

一同:(笑)。

慎太郎:『女帝』に影響されたなんてイヤだ! 言いたくない! 言いたくないから自分で忘却していたんだわ!(笑)。

——むり子さん、静かになっちゃっていますけど。

むり子:あまりそういう出世物語がピンとこなくて。

慎太郎:むり子さんは自分の為に生きてきましたからね。といっても、自分勝手じゃないんですよ。いつも冷静で、人を分析していて、客観的で、飽き性(笑)。でも私は彼女が銀座に向いていると思ったのは、銀座のお客さんって底なしにすごい人ばかりだから。飽きないででしょ?

むり子:飽きるどころか永遠のテーマですね。慎太郎ママとは20年ぶりのお仕事で。もちろん、最初東京に来る時だって、まさか慎太郎ママのところで働かせてもらえるなんて一切思っていなかった。せいぜい新宿のかなり場末で、それこそコンビニかどっかのチェーン店の皿洗いぐらいかなと思っていたから。でもまあそれも自分の人生だしいいかなと思って、ママに東京のプチ情報を聞こうと思って電話したら、『とりあえず遊びに来なさいな』って、そこから始まって今に至ると。

慎太郎:そもそもむり子さんがゲイデビューしたのはアレックス・カー(※アメリカの東洋文化研究者。著述家)だったもんね。

むり子:自分が22のまだノーマルの頃、大阪の梅田のゲイディスコに連れて行かれて。そこで目と目が合ったのがアレックス・カーだった。『どっか遊びに行こう』、『終わったらどうするの?』って、別々に、外人さんたちに聞いてみたら『ついこないだニューヨークにおった』って。私、ロック好きだったんで、『え、じゃあちょっといろいろプチ情報聞いてみたい』、『家においでよ』、『じゃあ行きます』って行ったらしっかり食べられて(笑)。

一同:(笑)。

むり子:『こいつめっちゃ強引やな』と思いながら、これでこの場を逃れるんやったらええやろと。その頃、カーもまだ青年だったね。26、7ぐらいの。で、モーニングにパンを切る。日本だったら食パンをどうぞやけど、一斤をナイフで切って、『僕はミートソースがどうのこうの』ってほんとにトマトから炊くんです。もう全てに興味を持っちゃって。そんなんで毎週行くようになって、それでだんだん覚えちゃいました(笑)。

慎太郎:覚えちゃったんだ(笑)。

むり子:空き家というか、神社のお家を全部作り直してあった。玄関入ったらいきなり障子で、その障子がゴールドのスプレーで塗ってあるんですよ。日本人の感性で、古い障子をゴールドかシルバーのスプレーで塗りつぶすって考えない。それが和テイストの全体とバランスが合うんですよ。『え、アレックス、これは?』、『汚れているから。アメリカ人は汚れた壁を塗るの、当たり前だよ。気分転換に模様替え』って。行灯をそこら中に置いているんですよ。で、そこに電気を入れて、下からのライトで『この情緒がいいんだよ』って窓は開けっ放し。『その神社の裏に小さい小川があって、その音が風情が出るんだ』。風情はいいねんけど寒いのね。よう考えたら私、すっぽんぽんやってん(笑)。

慎太郎:ちゃんとオチましたね(笑)。

——ちなみにそれ以来アレックス・カーさんとは?

むり子:全く会っていない。40年は会っていませんね。

——じゃあいつかこの対談に出てもらってご対面を。

むり子:覚えていると思いますと。覚えてなくても証拠写真があるので(笑)。

慎太郎:それ面白い!(笑)

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大事なのは作法の前の姿勢

——お二人は巡り巡って、今は銀座の街にいらっしゃるわけで。京都や大阪と東京の違いを分かっていらっしゃると思うんですが。

慎太郎:いや、もう天と地の差よね。

むり子:びっくりですわ。ほんとに日本の侘び寂びに関しては、やっぱり東京はすごい。まず着物着ている人が多いんですよ。京都で着物を着てる人、滅多に見ませんよ、意外と。着倒れなんてもう昔の話ですから。

——銀座はこうあってほしい、みたいなイメージは?

慎太郎:昔はゲイバーって高かったんです。そもそもゲイバーとは高いもんなんですよ。50年も昔なら4、50万から100万ですよ、一組。本来はそれが東京のゲイバーなんですよ。だから今もうちは高いんです。でも、有難いとは思っていますけど、当たり前だとは思っていないの。ただ、本来ゲイバーは高いのよ?というのは分かってほしい。

——例えば僕ぐらいの世代には、もうそう思ってない人のほうが多いだろうけれども、銀座でカッコよくありたいと意識した時、仮にチャンスがあるとすれば、昔だと多分HOTDOG PRESSとかPOPEYEなんかを読んで、女性にモテるためにはどうすればいいのか?みたいな勉強をしたんだと思うんです。ある種のマニュアルみたいに。でもそういうのを読んでも北方健三にも伊集院静にもなれない。それはどうすればいいんですかね。

慎太郎:例えばうちのお客様は20代が多いんですよ。その時はちゃんと電話で、『誰誰さん、どうもありがとうございます』って言って。『そんなにお金持ちじゃないんですけど、カウンターでいいのでちょっと1杯飲ませていただけませんか?』って言われたら、ハウスボトル出して、2万円で返してあげるんです。でもそれも1万円でやっちゃうと1万円だと思っちゃうわけで。やっぱりまずは来ることですよね。あと、クラブに行こうと思ったら大間違い。大事にされないから。もうクラブ自体に余裕がないからね。

——僕は東京でも地方でも、会員制と書いてあるところに入るのが得意で。『すいません、一人ですけど、いいですか? 初めてなんですけど』って言って。そしたらだいたいそんなに高くないわけです。でも心構えとしては、場合によってはぼったくられて5万とか10万を取られる覚悟はしています。でも今って、立ち入り禁止と書いてあるところに入りたがる人って少ないんですよね。

慎太郎:そうなんです。だから結局、今の若者って学びたくないの。で、あと自分がバカだと思われたくない。

——あ、それはある。怒られたくないんですよね。

慎太郎:そう。で、知らないことを悟られたくないの。だから引きこもるんです。人と会うと悟られちゃうから、何も知らないことを。だから学ばない。私だって昔、大阪から東京のツバキさんにお勉強で来た時も、最終で来て、『すいません、1万円しかないんですけど、ワイン1杯いただけますか?』ってお邪魔したんですよ。そしたら『はーい』なんて言ってクリスタル出してくださって、ママもトリュフ出してくれて。だから姿勢が大事。

——池波正太郎さんも初めてのお寿司屋さんはカウンターに座るとかじゃなくて『テーブルでいいんで一人前お願いします』って言って、徐々に入っていくようになると。『男の作法』に書いてありました。そういうプロセスが、今はもうなかなかない。

慎太郎:うん。だってほら、外で変なキャッチがいてさ、『3千円です!』、『5千円です!』、『いくらです!』って。どこに行きたいかじゃなくて値段から入るでしょ?

——あと『おっぱい揉み放題です』とか言いますよね。

慎太郎:まあ、当店も揉み放題よ。おっぱいだけじゃないけど。

むり子:あら恐ろしい!(笑)。

慎太郎:むり子さんだけはタダで。

むり子:ボランティア?

一同:(笑)。

慎太郎:私たちもね、お店では、お席に行ったらもうぴゅっとね、こんな話から急に政財界の話までしますからね。

——僕の周りではむり子さんのプロフェッショナリズムがすごいとみんな思っているみたいです。

慎太郎:むり子ちゃん、これでもまだ持て余しているんですよ? だからよっぽど関西では持て余して苦しかったやろなと思います。アホな振りせなあかんねやから。

——何かこの連載も今回で新たなゾーンに突入した気がします(笑)。

慎太郎:やっぱりお話が合うと、3時間でも6時間でも普通に話せますね。私ら24時間いけるもんね、違う話でずっと。そうしていないと、私、多動症だから、そわそわしちゃいますよ。

むり子:はい。どんどん引き出しを引っ張っていくのが得意だから、お話がどんどん膨らんじゃってね。

慎太郎:思い出話とかね。

むり子:(一同に)思い出、重いでえ。

慎太郎:もういいから(笑)。

 

(プロフィール)

やべ・しんたろう……“サロン・ド慎太郎”ママ。北海道生まれ。京都祇園でデビューし、その後に大阪北新地へ。24歳で独立し、同地に“サロン・ド慎太郎”をオープン。28歳の時、銀座に移転以来、銀座随一の名門ゲイバーの名物ママとして、日本はもとより数多なる国の重鎮たちに慕われ続ける。また『お店の子たちの教育のために初めた』というインスタグラム(@ginza.shintaro)も好評。その恐るべき文化レベルの高さで今や1万人以上のフォロワーを抱える人気アカウントに。食や美術への造詣も深く、東京・神楽坂“ギャラリー帝”やオンラインショップ“右都和”を手掛け、飲食店の器のプロデュースなども手掛けている。

“サロン・ド慎太郎”(※紹介制)。

http://shintaro.me/

“右都和”

www.e-utsuwa.co/

 

あやのこうじ・むりこ……今年4月より“サロン・ド慎太郎”に入店した大型新人。かつて慎太郎ママが京都祇園でデビューした頃の先輩。

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