毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第28回目はファッションブランド“Katie”のTAKIさんと、LINDAさんです。1997年に生まれ、昨年20周年を迎えたKatie。“ガーリー&ロックステディ”をボーンテーマに“カワイイもの”を“バイオレンス”で包んで表現する。甘くて辛く、自由で欲張りなコレクションは、音楽をはじめとするカルチャー好き女子から支持されている人気のブランドです。そんなKatieを二人三脚で続けてきたTAKIさんとLINDAさんは、TORIBA COFFEE代表・鳥羽と旧知の間柄。お二人の出会いから、独自の運営論までを大いに語っていただきました。ぜひご一読下さい。
(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:石毛倫太郎。構成:内田正樹)
——今日は雑談の中から、お二人が女性同士でブランドであり会社をやられてきて、しかもそれが20年も続いてきた、その秘密についていろいろ探れたら。そもそも、こんな形態の会社、ファッションブランドでもあまりないでしょう? ドルチェ&ガッバーナとかはそうなるのかな?
TAKI 知らない(笑)。
LINDA え? どっちがガッバーナ? それが気になっちゃうよ?(笑)。
——まあCHAGE&ASKAでもいいんですけど。
LINDA それちょっとヤバくない? だって捕まるとしたら……。
——叶姉妹?
LINDA 大好き!(笑)。
——そもそもそれぞれにどういう役割を担っているのかというあたりからお話しいただけますか?
TAKI 私が代表取締役で、LINDAさんは役職は基本的にないんです。
LINDA 保険だけ頼んだんだよね。私、身体が弱いから「社会保険だけよろしく」って(笑)。
TAKI そうそう。それで私に年金手帳を渡しちゃうの。「どこかに無くしちゃうから」って(笑)。
LINDA さすがに返されたけどね(笑)。そんな感じで私がともかくお金周りとか自己管理に関することが全くダメなので(笑)。
TAKI Katieを始めた時から決めていたよね。二人で始めて、二人でやれなくなったら解散って。
——それはそうしようと相談をして決めたのですか?
TAKI 何の打ち合わせもなかったね。ハナっからそうだった。
LINDA うん。なかったね。
——明快ですね。そもそもお二人の最初の出会いは?
LINDA 90年代。私はヒステリックグラマーで働いていて。
TAKI 私は渋谷のアメリカンTOYのZAAP!(ザップ)という店で20歳から25歳まで店長をやっていました。で、私がヒスに買い物に行った時にLINDAがいたんだよね。
——ちなみにTAKIさんはどうしておもちゃ屋さん?
TAKI 私はバービーのいとこ(※フランシー)のコレクターだったから。
——いとこ? バービーを集めないでいとこを集めた理由は?
TAKI カワイイから!! LINDAさんの夫もフランシーのコレクターだからね。
LINDA そうそう。TAKIちゃんのバービー仲間なの(笑)。当時ってすごく住み分けがはっきりしていたのね。パンク、メタル、R&B、ガレージ、ロカビリーって。そういうカルチャーの周辺で、友達もすごくかぶっていたし。だから割と自然な出会いだったというか。
LINDA 私は25ぐらいで、多分もう退社を決めていた頃だったのかな。
——LINDAさんは退社して何をしようとしていたの?
LINDA 漠然と、もう少し趣味嗜好に偏りたかった。ヒステリックグラマーでは割と早くから役職についちゃっていたんです。当時のヒスはもう特殊部隊だったというか、かなり特異な経験をさせてもらって。ちょうどバブル期の後半だったこともあって、何となく「ずっとひとところにいる時代じゃないのかも?」という予感もあったし、ジョニオくん(※高橋盾。UNDERCOVERのデザイナー)同い年くらいの男の子たちが自分で何かをやろうとしている動きもあって。もう誕生前夜って感じの世の中だったから、私も動くのが必然なんじゃないかと勝手に思っていたんです。
TAKI あの時の東京はみんなそういう感じだったよね。ある意味、子供が稼げた時代でもあったというか。
LINDA でも結局ちょっとだけフリーランスになった頃は、「SMスナイパー」とかピアッシング系とかカルトな雑誌の仕事なんかもやっていた。TAKIちゃんとは周りの友達がだいぶ繋がっていたから、出会ってすぐ、すごい勢いで仲良くなったんだよね。
TAKI 早かったよね。それで何か一緒にやろうってなったのかな?
LINDA そうそう。最初からすぐ一緒にお店をやるなんて想像はしていなかったんだけど。TAKIちゃんは年下だけど、感覚っていうのかな……簡単に言うと「カワイイ服もほしい。でも美味しいものもちゃんと食べたい」とか、いろいろな感覚がお互いに近かったんだよね。
——要は何がOKで何がNGかの価値観が近かった?
LINDA そう!
TAKI もう、これ以上は合う人いないなっていうぐらいに合致しちゃったんだよね。あと、歳が三つ違うのもいいんじゃないですかね。もし、何か二人で一緒にやる際の秘訣みたいなものがあるとしたら、ひとつは「同級生じゃないほうがいい」のかも。特に同性だと大きいかな。
LINDA 取材の時、よく聞かれるんです。「女二人でやっていると、喧嘩とか何かないんですか?」みたいな質問。「掴み合って殴り合った話とか聞きたいのかな?」みたいな(笑)。
一同 (爆笑)。
TAKI ないし。男同士ならまだしも(苦笑)。
LINDA 女性ってそんなムダなこと、しないよねえ(笑)。
——出会ってすぐブランドというかお店を開こうということになったんですか?
TAKI そうですね。好きなもの、売っていないものを置こうというイメージもありましたから。
LINDA 90年代ってまだ何も売ってなかったんですよ。チェリーものもないし、ともかくカワイイものが売っていなかった。カワイイ女の子寄せのバンドものの服とか、女の子がつけるパンクカルチャーのアクセサリーとか、本当に世の中になかったんです。古いものはあったけど、それこそグランジから先のものがない頃だった。
TAKI だからちょっとカワイイものを見つけたら、連絡網を回して即買い占めだったよね(笑)。
LINDA TAKIちゃんの分も勝手に取り置き(笑)。
TAKI そう。カルチャー寄せの女子が買い物に行くところも限られているし。
——かつてはどんな店があったの? Katie以外に。
LINDA 90年代はMILK、ヴィヴィアン(・ウエストウッド)、ヒスみたいな90年代じゃない? あとはハイブランドもモデルブームとともに到来して。バンドものだとダブルデッカーとか、666で手配しないとならなくて。
TAKI あとはメーカー以外のお店も。古着屋とかね。個人のやっている、小さくていいお店はいっぱいあった時代ですよね。そのあとウェットメロン、グラマラスとかね。
LINDA あとからMILKFED.やX-girlの波がきて。
TAKI ソフィア・コッポラのブームね。
LINDA そうそう。とにかく当時は周りで買えるものじゃ足りなかった。それで自分たちで。
TAKI あの時、東京にいたから今これをやれているのかなとは思います。たまに留学とかしたかったなって思うけど。東京にいなかったらできなかった人脈もいっぱいあったし。
LINDA 私たち基本、東京の女の子に向かっているので。
——いまの世の中って、ビジネスに対して失敗が許されないという感覚がすごく強い。だから本屋に行くとたくさんのビジネス書が並んでいます。その中には、例えば「友達と仕事をするべきじゃない」とか「好みの合う大好きな相手なら、尚のこと仕事なんて一緒にしちゃいけない」とか、セオリーで言えばまあ分からんでもないことが書かれていて。あとは「パートナーになるなら互いに対等なほうがいい」とかね。でも、お二人の場合は、そうしたセオリーとことごとく異なっているにも関わらず、Katieはこうして現在に至っているわけですが……。
TAKI 対等は難しいかな。どう人に働いてもらうかを考える方が、私には向いているからやっているだけだし、LINDAさんはすごい働き者で優秀な人だけど、さっき話した通り、とにかくお金周りのことが無理だから、自然と役割分担ができている。
LINDA 無理ですね。無理。仕事のお金などの交渉は担当ですが(笑)。
TAKI だって給与明細は見ないし、銀行通帳もそのまんまだし……。
LINDA カッコつけてるの?って思われがちなんですけど、単にダメなんですよ。本気でヤバイの(笑)。バンド関係の仕事もそこそここなしましたけど、でも請求書が書けないの(笑)。
TAKI 仕事はデキるの。でもデキる上にスケジュールをぎゅうぎゅうに詰めて身体を壊しちゃうの。だからリンダさんには休ませる人がいないとダメなんです(笑)。
——(笑)。
TAKI もちろん、Katieがここまで続いてきたのはリンダさんのおかげ。で、たぶんLINDAも私のおかげって思ってくれているから、ずっと20年やってこられたんじゃないかな? 「自分が背負ってます」という気持ちが一番ではない。そういう互いの謙虚さも関係しているのかなあとは思っていますけどね(笑)。あと、katieはグラフィックやデザインの細部にメンズの要素が入っているんですが、その全てを途中から私の夫がグラフィックデザイナーとして手掛けています。身内だけど、LINDAとの関係もいいので、最近は三人で回している感じですね。どのバランスが欠けても困るという意味では、私たちって替えが利かない分、破滅的ではあるんですよね(笑)。
——LINDAさんの旦那さんも面白いかたですよね。地に足がついていてもおかしくない血筋なのに、全くついていないという。
LINDA そもそも完全にオタクというか、振り切れている種族ではあるので……。ただ、趣味の分野では、ある意味男性ですけど、息ピッタリなので。私の担当するデザインのインスピレーションは、彼の持ち物とかに大いに助けられています。
——二人で始めようと決めてから立ち上げまでは?
TAKI けっこう時間がかかったかな。LINDAも別の仕事をしていたし。でも最初の資金を危うく1年目ぐらいで遣いきりそうになったけどね。
LINDA 危なかったよねー!?
一同 (笑)
TAKI お金ってこんなに早くなくなるんだなって(笑)。
LINDA 二人で「お札って、本当に羽が生えてるんだね?」って言ってた(笑)。まあヒドかったね、最初の1年は。
TAKI 最初の半年ぐらいはバンドT売ったりしてね。友達だったMAD CAPSULE MARKETのツアーのTシャツ作ったり。ああいうタフなバンドでかわいい女の子のTシャツって売ってなかったから、そういうカルチャーは早かったとは思う。
——社員は二人だけ?
TAKI 3年目までは二人だったよね。
LINDA ふたりっきりで社員旅行(笑)。栃木とか行くんだよ(笑)。
TAKI そのあと、miniとかrelaxなんかの00年代のブームがきて。シエルとか、サイラスとか、ああいうスポーティ&ガーリーみたいな流れに乗っていった感じですかね。個人的な感じのレディースブランドがタケノコみたいに出てきた頃だった。
——でも工場に発注をかけたりするわけでしょ? そういうのは大丈夫だったの?
TAKI やるしかないっていうだけ(笑)。人間、1万時間やるとできるって言うじゃない? 最初の指示書とか見るとほんとにヒドいなとか思うけど。とにかく辞めないの、私たちは(笑)。
LINDA 辞めなかった!(笑)。
一同 (笑)
LINDA 無駄な表現ばっかりしているのに、そういうところはね(笑)。
——やっぱりいろいろと絶妙なさじ加減で成り立っているんですね。
TAKI まあ、ビル建てたいとかそういう欲も……全くなくはなかったけど、でもないからね(笑)。
——そう、案外と堅実なんですよね。
二人 (口を揃えて)堅いですよ、私たち。
LINDA 10周年の時にビクターでCDを出す時、ちょっとだけ脚立の上に上って世間を見たぐらいだよね(笑)。財布の紐はタキちゃんがつかんでくれている感じで。
——とかく、「ビジネス、どうですか?」、「いや、細々とやらせていただいていますよ」っていう男の人とかいるけど、本当に細々とやっていたりする。でも二人のビジネスはどーんとはしているんだけど、あまり自己顕示じゃないというか……。Katieが20周年記念の時に作った「“PINK BOOK”1997-2017」(※20年分のビジュアルアーカイブ本。非売品)も、非売品だし、“私たちが歩んだ20年”みたいな本ではないし。
LINDA この20年間で、初期は小泉今日子さんや最近では二階堂ふみちゃんとか、その時々の働く女性の代表みたいな人たちが共感してくれて、ヴィジュアルに出てくれたのは、やはり説得力のおかげだ……。自己顕示欲も、根底には説得力がないと(笑)。
TAKI そして撮影後の飲み会には力入れるよね、私たちはね。そう思うと、案外ぼーっとはしていないんだよね、私たちって。
LINDA うん。ぼーっとはしていないね。
TAKI 世間のサイクルも速いし。鼻きかせるのは本当に大変だから。あとはやっぱり説得力がないことにはね。
LINDA そうそう。オフィスのトイレとか、カワイくないのもダメ。許さない。
TAKI 小物を適当に置かないで、とかね。うちはライフスタイルがカワイくないままカワイイ格好をしているんじゃダメなブランドだから。お客さんもそう。カワイイに対して徹底しているから。
——お二人の学生時代はどんな感じでしたか?
TAKI 私は中学中高から東京の学校で寮生活。で、美大へ。私たちの共通点のひとつはね、キリスト教の堅い学校に通っていたこと。そこのハミ出し者というのは、多分大きいんじゃないかな(笑)。
LINDA そうだね。私の場合は幼稚部から一環教育系の女学校ですね。ものすごく堅いです。こちらは男子もいませんから。
TAKI でも自立が早いという点もすごく近いよね。そんな人、周りにあまりいなかったもん。もうすごい厳しかったから、寮とか。尼寺級(笑)。だって生徒が自治している学校なんで、政治的なところも生徒がやるんだよ? あと掃除から備品発注まで生徒にやらせるの。東京だけど薪でご飯炊くみたいな学校だったからね。
LINDA 多感な時期に割と押さえつけられているような部分はあったよね。あと、私の場合は、幼稚園からしばらく友達が変わらなくて、そこに男子はいないし、それこそ制服と礼拝にまみれているしかない青春でしたので、「イケてる格好がしたい!」とか架空の彼氏をつくってみたりとか、とにかく欲が強かった。だからこういう表現に走ったのかもしれない。
TAKI 私の学校の創設者が日本戦後のキャリアウーマンの走りで、女性の社会進出を進めた人だったから。やっぱり女性のほうが優遇されていて、女子力がすごく強かった。だから女の人が働いて、家事も完璧にやらせるという教育だったわけ。
——TAKIさんは何でそこに通うことになったんですか?
TAKI 2番目のお姉ちゃんが入ったから。で、私、その時小学生で、栃木でヤンキーになる一歩手前でね(笑)。
一同 (笑)
——小学生で?
TAKI そう。北関東、すごいんですよ? 予備軍、いっぱいいたからね。私、小6で160センチとかあったから。ランドセルが背負えないの。だから片方ずらして背負ってさ。
LINDA それワルだ、もうワルだよ!!(笑)
TAKI それで親が「こりゃマズい」みたくなって、お姉ちゃんにくっつけたのね。あと学校が私服だったんですよ。私服で東京に行ける!みたいな不純な動機で受験してしまったら、すごい厳しかったという(笑)。仕事でパートナーになる人とか、どういう教育を受けてきたかが近いと成功率は高いかもね。
——共通言語がありますもんね。
LINDA 讃美歌だって歌えるしね(笑)。
TAKI 歌える歌える(笑)。うちはカソリックじゃないけど、リンダさんは洗礼とか受けるぐらいのレベルだからね。だからそういう堅い学校からのハミ出し者というのは、多分大きいんじゃないかな。キョンキョンと出会った頃、彼女にも言われましたもん。
LINDA 言ってた。「だからなのね」って。
TAKI それが表現に繋がっているのねって指摘された時、うれしかったというか、ちょっと救われた気がしたな。
それこそ栃木でヤンキーやっていたら、いまこうはなっていなかったわけだし。まあ違う表現はしていたかもしれないけど(笑)。
——チャンプロードの表紙を3回飾るとか?
一同 (笑)。
——育ちももちろんだけど、女性だからこその資質も大きいんでしょうね。
TAKI うん。リーマンショックの時、アパレルってどこもすごく厳しかったじゃない? 私たちにもやっぱり厳しい時期があった。そういう時、対応の仕方が女性の会社だと躊躇なく節約に走るのよね。在庫部屋は解約。お水はサーバーをやめる。誰もいない部屋は電気を消す。そういうところは容赦も躊躇もなく全員できる(笑)。
LINDA いざって時にグラグラしないし切り替えが早い。
TAKI その一方で、ビルとか建たなかったのは、私が女だからかな?とも思います。いろいろチャンスはあったけど大きくしなかったし。
——それは大きくしたくなかったから?
TAKI 要は私たちの世代ってグランジじゃない?(笑)。だからビルよりも適度な幸せを取ったんだよね。従業員大勢抱えて自社ビル建てて、それが幸せかっていうと、忙しいわ人を雇わなきゃいけないわ。そうじゃない道を選びたかったんだと思うんだよね。
——僕はいま会社を大きくするチャンスですよ?みたいなタイミングがもしいまここにあったとしたら、やっぱりぱっと掴んじゃうような気がして。別に掴みたくないし、掴むべきじゃないことが分かっていても、何か掴んじゃいそうな恐れがあるというか……。
LINDA そういう時は私に電話して!
一同 (爆笑)。
——どうせ「掴め!」って言うんでしょ?(笑)。
LINDA いや、ちょっと1回電話くれたら大丈夫。
TAKI うん。リンダさん、そういうのかなり神がかってるから。
——自分の目の届く範囲で全てを賄いたいから大きくしなかったというのもありましたか?
TAKI それもあるし、そもそもこの濃さでやっていく為には、結局、他人には任せられないんだよね。私たちは隙間産業だから、ブレちゃいけないっていうか、濃くやらなきゃいけないし意味がないから。まあいまは若手も育って、振ることも多くなってはきたけどね。
LINDA そうだね。うちらは会社経営そのものが一番やりたいわけじゃなかったから。もちろん経営者としてのタキちゃんがいなきゃ成り立たないんだけど。
——僕は狩りたいというよりも、逆に数年前からもう経営のこと以外はやりたくないってなったんですよね。かといって、じゃあ掴みたいものがあるかというと、別にそこにはないんですけど、何の為にやっているんだろうな?っていうのはどこかにあって。大きくするならその目標に向かうから分かりやすくなるけど、そうではないから。リーマンショックとかそういうの以外で、恐れているというか、沈むかもしれない、と危惧するようなポイントって何かありましたか?
TAKI Katie始めて3、4年目のあたりにすごいバブルがあったのよ。10坪ぐらいの店で入場制限していた時期があって。
——その要因は何だったの?
TAKI もうブーム。あとは他になかったからかな。
LINDA 陳腐な言い方になっちゃうけど、“女の子の裏原現象”みたいな盛り上がりでね。
TAKI 実際、裏原もそうだったじゃない? それのレディース版みたいな。でもその時に私たち二人とバイトひとりみたいな感じだったから。
LINDA 死ぬかと思ったよね。
TAKI だけどブランドとして、そういうブレイクは1回あるとまたくるかな?っていうのがちょっと頭にあって。だからちょっと沈んだ時も少しは楽観的でいられたというか。
——それはひょっとしたら男性と女性の大きな違いかも。男は1回ブレイクを経験しちゃうと、またそれがくることしか考えなくなるから。
LINDA マジ? へぇ~。
TAKI それは全くないなあ。
——沈んだ時に楽観的でいられるっていう感覚には多分ならないと思う。その成功をもう一度得るためにどうしたらいいだろうっていうことしか考えないから。
TAKI ああ、だからその時にフランチャイズの話とか、百貨店への出店とか、いろいろきたよ。
——全部断ったんですか?
TAKI 断った。だって二人しかいませんからね。
「こんな話断るなんて」って言われたけどね。あの時に人とお店を増やせばビルが建ったねって後で言ってましたけど。
LINDA そうそう。
——でもファッションはそれで失敗してるところも多いですよね。
TAKI そう思う。うちはあくまで隙間産業としてやっていくことしか考えてないから(笑)。そうしていかないと、本当にうちが好きで来てくれるお客さんがもう来てくれなくなっちゃうでしょ? それが一番嫌なの。好きな人にがっかりされたくないっていうのはあるね。
LINDA 隙間の価値観だね。
——大手とかのセレクトショップなんかは、原価を見て、うちのマークアップはこれだからこの商品は買えないなっていう選択になってくるでしょ? だけど、これを売りたいからマークアップをちょっと下げるっていうやり方も、個人規模だったらできるわけじゃないですか。
TAKI そうそう。うちはピンクの船って例えているんだけど、小さい船だから、もう常に小刻みに。
LINDA みんなでピンクの迷彩服を着ているイメージ。月イチでガチなミーティングやるんだけど、とりあえず1回聞くんだよね。「いまの凪はどうですか?」「漁場は荒れてる?」とか。
TAKI 「凪だけど漁船は出てるよ」とか(笑)。まああまり凪もよくないんだけどね。
LINDA 「似たような漁船がいるよ」、「気をつけろ。荒れてるぞ」、「ほら、大きい船来たぞ」とか。
一同 (笑)。
LINDA 一旦陸に戻ってひとり下ろす、みたいな感覚。匍匐前進で来られるヤツは乗ってよし! みたいな。食料だって船から釣ってる感じだし(笑)。でもね、自分の戦力に気付けると面白いと思うよ。仕事だろうが趣味だろうが何だろうが。
TAKI もう宗教みたいな感じですね、きっとうちって(笑)。そもそも会社って、ちょっと宗教みたいなところあるじゃない。
——特にいまは昔みたいな首傾げながらも定年まで、みたいな働き方を簡単に疑えちゃう時代だから。宗教的な何かって必要だと思う。
TAKI まあでも今後うちだってどうなるかわかんないよ?
LINDA そう、その通り。
TAKI 常にそう思いながらやっているからね。短い先のことだけを考えているから。
——辞めたくなったらでも辞めてもいいと?
TAKI 思っているし、そう思っているから続けていられるんじゃないかな。そうじゃないと不自由過ぎて。まあ私自身が「仕事したくないな~」とか思いながら仕事するタイプだから(笑)。男の人はそういう疑問はないのかな?
——仮に根性という言葉を持ち出すとしたら、男性と女性では根性と言葉の考え方の質がちょっと違うのかもしれないとは思いますけど。あとは商売を物差しにして人を値踏みする感覚も、女性より男性のほうに多い気がします。「この人はすごい人だ! なぜなら売り上げがいくらあって!」みたいな感じだったりするじゃないですか。
TAKI 年商幾らだ、みたいなね。まあ私たちは石橋を叩きまくるからね。
LINDA たまに叩き割っちゃって進めないんだよね(笑)。しかも立ち上がらない。だから膝立ち状態で20年だから。
——今日は金言が多いなあ。
TAKI でも女の人だって最近はいるんじゃない? 自分が働かなくても儲かるとかいうセミナーがあるって聞いてびっくりしちゃったよ。
——そういうセミナー、今度潜入して受けてみようかな。すごく感化されて帰ってきたりして(笑)。
LINDA その時は、とりあえず私に電話して(笑)。
(プロフィール)
TAKI&LINDA……1997年、TAKI & LINDAによるプライベートブランドとしてKaiteをスタートさせる。翌年、代官山に直営店『Katie the Store』をオープン。自由な女性が合わせ持つ『かわいらしさ』と『強さ』をボーンテーマに、二人が影響を受けた多くのバンドや音楽、映画、コレクションしたビンテージドール、カードやレースのはぎれetc、趣味的な要素をデザインソースに、タイムレスな独自の世界観を追求して続けている。