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2016.07.29 COFFEE PEOPLE ~ vol.13 立川直樹 × 森永博志 ~ 前編

自由と癖と面白さ

 

毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第13回目はプロデューサー/音楽評論家の立川直樹さんとエディターの森永博志さんを迎えてお送りします。

時は80年代後半、雑誌『エスクァイア日本版』にて連載されていた伝説の対談“クラブ・シャングリラ”。高感度な読者に支持されたこの連載は二冊の単行本となり、今も多くのファンに愛され続けています。

そんなお二人が今回はCOFFEE PEOPLEに登場。TORIBA COFFEEに出張したクラブ・シャングリラから語られる伝説の数々とは? 目で見て、肌で感じてきたこの世界とは? そしてメディアの現在とは?

今回は前後編に渡ってお送りします。まずは前編、ぜひお楽しみください。

(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:荒井俊哉。構成:内田正樹)

 

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——僕は車を運転している時はAMラジオしか聴かないんですが、先日、ちょうど「RADIO SHANGRI・RA」を聴いていたら、ベット・ミドラーの「ローズ」がかかって。その時、まあ運転しながら目つぶっちゃいけないんですけど(笑)、まぶたの裏に見えたんですよ、スポットライトを浴びたベット・ミドラーが。あのAMラジオのモノラルの音で。つまり音質どうこうよりも、人間の側のセッティングの方が大事なんだなあと思い知らされました。

立川:ラジオは面白いよね。

森永: いま一番自由なメディアだね。

立川:あの収録はディレクターひとりと、女の子のアシスタントがいるだけ。よく「あれはすごく緻密に構成をしてあるんですか?」と訊かれるけど、全然(笑)。僕がほとんど曲を選んで、たまにマッケン(森永)がなんか言って。

森永:それで六本木で待ち合わせをして、立川さんの車でスタジオまで行く30分ぐらいの間に雑談するわけですよ。でも雑談が(放送の)ネタになるっていうことはそんなにないもんね。だからほとんどぶっつけ本番。

立川:で、ほとんど編集しないんだけど……。

森永:時間ぴったりに終わるの。

立川:ぴったり。あとは「危険な言葉だけカットしろ」と。

——危険な言葉のカットは結構あるんですか?

立川:個人名で「ダメじゃない?」とか「まあ取っといてもいいんじゃないの?」と自制心が働く程度かな。

森永:表現に関することを今もいろいろとやっているけど、ラジオがいちばん自由かな。第三者が入らないしね。

立川:あとは何も用意しないで済むのもいいね。テレビだと、ランスルーとかリハーサルがどうかとかあるでしょ。その上、何を喋っちゃいけないとかってすごくあるし。

——あと、ラジオのほうが“消え物”というか、残らない感じもいいですよね。最近はエアチェックもそうそうしないだろうし。あってもradiko.jpぐらいだし。

森永:「いまやもうこういう音楽番組はない」ってよく言われるよね。

立川:だって長い曲をフルでかけても平気なんだもんね。デヴィッド・ボウイの「★」(ブラックスター)で9分何秒とか。この前なんて、戸川昌子とプリンスとロバート・フリップを同じ日にかけたし(笑)。

——追悼、追悼、ロバート・フリップ(笑)。

森永:ボウイが死んだ時も、訃報の3日後ぐらいに鋤田さんがゲストできてくれて。

立川:ディレクターから「ボウイが死んだから追悼に差し替えましょうか? 鋤田さんのコメントとか」「いや、隣にいるよ」って。ちょうど仕事で一緒だったの。僕が「鋤田さん、コメントくれる?」「いつ収録なの? じゃあ僕、行くよ」って。彼は世界中から300ぐらい取材の申し込みがあったらしいんだけど、ほとんど断っていたんだよね。しかも鋤田さん、ノリはロックだから追悼コメントとか出している人に「本当はあいつらわかってねえんだよな」とか平気で言うんだよね(笑)。

——先日は蜷川幸雄さんも亡くなられて。

森永:今年は次々と亡くなるね。

立川:うん。なんか不思議な年だね。

——僕の周りで、2020年の東京オリンピックで“誰が開会式仕切るんだ?”という話題になると、秋元康さんの名前の一方で上がるのが蜷川さんでした。

立川:(北野)武さんは面白いんじゃない? あの人も急に壊すのが好きだし(笑)。最近の『龍三と七人の子分たち』なんて、珍しく最後まで飽きずに作ってあったよね。辻褄もあっていたし、映画としての体を成していた。『アキレスと亀』は、最初のうちはすごくいいのかなと思わせるんだけど、一時間ぐらいしたところぐらいから急に破たんしてきて。まああの破たんぶりこそ、武さんが映画をおもちゃだと思っているという見本なのかもしれないんだけどね。

森永:一昨年の映画だけど、ウディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』もすごい映画だよね。結末ないんだもん。

立川:あれはよかったね。

森永:めちゃくちゃよかった。最近のウディ・アレンはスタンスも作品もいい。決してヒットしているとは思わないんだけど、コンスタントに撮っているよね。

立川:ものすごい本数だよ。ウディ・アレンって1作いいと次がイマイチというリズムがある(笑)。でも新作(『教授のおかしな妄想殺人』)はすごくいい。音楽がほとんどラムゼイ・ルイスで、ちょっとイカレた大学教授とそういうイカレたのに憧れる女子大生とヤリマンの女教授みたいなのが3人でデタラメやるの。で、結末が面白い。

森永:監督に癖があるから面白いんだよね。どこにその癖を持ってくるかなんだけど、結末に持ってきたのはすごい。結末が読めたらつまんないもんね。まあ結末のいらない映画っていうのも、昔はけっこうあったけどね。あとは勝手に想像してくれ、みたいなの。

立川:昔のベルナルド・ベルトルッチとかにも多かったね。『ルナ』(1979年)とかさ。昔はヨーロッパのヤツがアメリカ人をバカにしていた時代があって、アメリカのほうも自分たちはバカにされてもしょうがないっていう空気があってさ。『ルナ』って、アメリカバージョンといわゆる世界バージョンと編集が違うんだよね。アメリカ人は結末がわかんないとダメだから。親父が息子を愛の平手打ち、みたく終わって、そこで父性が回復した、みたいな終わり方でさ。西部劇みたいなね(笑)。でもヨーロッパ版は親父が来るところでもう終わっちゃう。だから何しに来たんだかわかんないんだけど(笑)。

森永:たしか『ブレードランナー』(1982年)もふたつのバージョンがあって、片方はつまんないハッピーエンドだったよね。

立川:あれもたぶんアメリカ版だったかな。ピンク・フロイドの『アトム・ハート・マザー』(1970年。邦題『原子心母』)というアルバムも、イギリス盤ではジャケットにピンク・フロイドの名前もなければアルバム・タイトルも入っていなかった。牛の写真だけ。で、日本盤はそのままで出したんだけど、アメリカのキャピトル・レコードはそこにタイトルを入れたの。それでピンク・フロイドのメンバーは、「やっぱりアメリカ人はイモだ」ってバカにしたんだよね。

森永:ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム(『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』(1967年))のアンディ・ウォーホルのバナナのジャケットもそうだった。

立川:バンド名もタイトルも入ってなかった。アンディ・ウォーホルの名前だけ。ナメてるよね(笑)。

森永:あれはウォーホルも自分で金を出していたらしいよ。ウォーホルってああいう仕事はレコード会社から金もらってないんだよね。

立川:だから自由なんだよ。いくらあの頃でも、あの歌詞じゃメジャーレーベルは怖がったはずだよ。だってヘロイン中毒とかの歌だもん。

森永:『ワイルド・サイドを歩け』(ルー・リード。1972年))も、よくみんなで合唱するよね。あれ、いまだにたくさんの日本人が勘違いしている。“ワイルドにいこう”じゃないんだよね。かなりヤバい歌なのに(笑)。

——『ヤング@ハート』(2008年)という、アメリカのおじいちゃんおばあちゃんのコーラス隊の映画では、あの曲でおじいちゃんおばあちゃんが盛り上がるんですよね(笑)。

森永:それ面白いね。監督はもちろんわざとやっているんでしょ?

——もちろんわざとおじいちゃんおばあちゃんに歌わせているんです。ちょっとした皮肉なんでしょうね。

立川:凄いことをやるヤツはちゃんといるんだよね。

 

シャングリラの伝説

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——今日お二人にお会いするので、あらためて『シャングリラの予言』(1995年(講談社)。続編が2002年(東京書籍))をあらためて読み直していたんですが。

立川:あれが出た時に面白かったのは、『シャングリラの予言を読む』っていう本を作ろうとした人がいるんだよね。つまり解読本。僕らそんなに細かくどくど喋らなかったから。

森永:あの連載(※同書は『エスクァイア日本版』連載の「クラブシャングリラ」に端を発している)のコンセプトは“論じない”ことだった。要は最近おもしろいことがあっても論じない。音楽をいいとは言っても論じない。今で言う“いいね”の感じ。あくまで気分や空気だけ。ツイッターに近いコンセプトだった。だから何の話をしているのか、分かんない人には何だかさっぱり分からなかった。

立川:それこそ蜷川さんも気に入ってくれていたんだよ。蜷川さんが最高だったのは「立川さん、あれ教科書にしてさ、どうせ生徒なんか分かりっこないんだから『これ2ページ勉強してこい!』って言ったら絶対おもしろいぞ」って(笑)。“平成の奇書”と言われたからね。

——僕はほとんど読まないんですが、どうでもいいことばっかり言っているビジネス書なんかに比べたら、よっぽど勉強になるし、本当にノストラダムスの大予言みたいなノリがありますからね。

立川:実際、予言書って言われたんだよね。

森永:テロも予言しいてたし。ミュージシャンについてもかなり予言していたんじゃないかな。

——それに80年代当時におふたりがおっしゃっていたことでいまだに変わってないことがいっぱいあるんですよ。「ダサい」と言及していたことが本当にいまだにずっと続いていたりする。

立川:最近はつまんないことを「つまんない」と言う勇気がみんな無さ過ぎるんだよ。でもそれこそ当時の“エスクァイア”っていうのはヘミングウェイ命みたいな人たちがやっていたわけ。なのに連載の初回(1989年)に「ヘミングウェイなんかもう古いよな、ヘミングウェイよりジョン・レノンだろ」とか言っちゃって。

——(笑)。

立川:レナード・コーエンのアルバム聴いてエロいとか「1956年のジーナ・ロロブリジーダはチンチン・ピクピクするよね」とか言ったら。

森永:もう編集部で非難轟々。「こんなの出せません!」って(笑)。

立川:こっちはこっちで「じゃあ連載なんてやめたほうがいいよ。どうせ僕らは危険なんだから」って。でも結局出した。そうしたらもう「あの連載をただちにやめさせろ」みたいな声が続々と(笑)。でもそうするともう一方でこれを好きなヤツが出てくるわけ。そこでもはや伝説的な編集者の長澤(潔。元編集長)さんが偉かったのは、「これだけ批判が来るということはプロレスの悪党人気みたいなもんだから続ける」って言ったんだよね。

森永:最初は読者人気ワーストワンでしたからね。

立川:担当の編集者もどんどん変わる。

森永:ついていけないから(笑)。

立川:女の子の編集者がついたこともあったけれど、「もうあんな現場には行きたくありません!」って(笑)。

森永:で、結局一度は中止に追い込まれそうになったんだけど、ラッキーなことに中止が決定した月の『噂の真相』と『鳩よ!』の両方で、いま雑誌であんなに面白い連載はないっていうのを中平まみさんが1ページ使って書いてくれたの。おまけに『ダカーポ』の雑誌人気ベスト10に入っちゃって。

立川:あの辺から急に風向きが変わってね。ついには読者人気ベスト3を、ピーター・ハミルと淀川長治さんと僕らの3人で毎回争うまでになって。

森永:淀川さんは抜けちゃったんだけど、ピーター・ハミルだけは抜けなかった(笑)。

立川:それで今度は読者から「シャングリラの人たちに特集を作ってほしい」みたな声が届いたので『地獄に堕ちた食いしん坊』という食の特集やってね。取材なんてもうやりたい放題で。

森永:そうそう。島とか、旅にもよく出かけてね。

立川:話せないようなことがたくさんあった(笑)。

——でもそういうギリギリな感じは活字からも伝わってきます。会話の運動神経もものすごくて。

森永:ミックは運動神経すごいよね。温泉の卓球とかめちゃくちゃ上手いし。

立川:中高とサッカーをやっていて、ヘディングの名手って言われていた。いまだに道でタクシー止める時にガードレールをジャンプで越えられるもん(笑)。

森永:シャングリラは運動神経かもね。僕も体操やっていたし(笑)。ジャン・コクトーが「会話はスポーツだ」って言ったじゃない? あれかもね。だからセンテンスが短い。

立川:シャングリラはそうしなかったけれど、ふたりでやっていた『翼の王国』(※全日空の機内誌)の『極楽自動車旅行』という連載は対談の形になっているんだけど、実際にはテープを録らず、原稿用紙を置いて、片方が書いて相手にパッと渡すの。で、もらった方もすぐ書いてまた返して。

——凄いですね。

森永:とにかくすぐ書かなきゃダメなの。

立川:考えちゃダメだから。

森永:それこそピンポンだった。ある時、一度藤田千恵子にやらせたら「こんな恐ろしいことやっていたんですか」って驚かれたな(笑)。

立川:だけど文字数はピッタリ収まる。デタラメなんだけど、そういうところはふたりとも雑誌育ちだから几帳面なの(笑)。

森永:ラジオも同じだよね。ディレクターも驚いている。

立川:単に「適当に録っといて後で編集しますから」とか言われるのがイヤなんだよね。僕は雑誌の仕事を結構していた頃、たとえば初めから誌面が2ページしかないと分かっていたら、相手が1時間くれると言っても「20分でいい」って返していたもん。「え、そんなもったいない」というんだけど、失礼だから。一番イヤなのが、新聞ですごく小さな記事にしかならないのに「1時間下さい」みたいな取材だよ。意味ないもん。

——たしかにそうですよね。

立川:そういえばさっき武さんの話になったけど、この連載には後日譚があってね。シャングリラが単行本(『シャングリラの予言』)になる時、ちょうど武さんが講談社に殴り込んだ後だったの。だから当時武さんは講談社の出版物は一切出演を拒否していたの。でも単行本が講談社から出ることになって、担当編集が「武さんの章(※同書の29章『本物の人が一回遊びに来ないって軽く言う』)だけは、単行本、無理です」とか言うわけ。だから「まあとりあえず事務所に連絡して確認だけ取って、ダメだって言われたらいいじゃない」と言ったら、武さんが「それは出さなきゃダメだろ」と言ってくれて、結果それが講談社と武さんの和解のきっかけになったんだよ。

——そんなことがあったんですか。

森永:あの章の時は僕らも緊張したね。

立川:緊張した。でも武さん、「シャングリラの人たちに褒められて本当に嬉しい」って。ちょうど『あの夏、いちばん静かな海』(1991年)の時だったかな。すごくセンスのいい人でね。彼は永山則夫と同じ新宿のヴィレッジ・ゲートでボーイをやっていたんだよね。自分が芸人だから浅草を売りにしていたけど、本当は新宿の文化からアンダーグラウンド蠍座とかATGとかを全部知っている人だった。やっぱりセンスがいい人なんですよ。

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(後編に続く)

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(プロフィール)

立川直樹……1949年東京都生まれ。通称ミック。グループサウンズシーンにおけるプレイヤー、ロックバー経営、舞台美術制作、ロック評論家など様々な職業を経て、70年代初頭からメディアの交流をテーマに音楽、映画、美術、舞台など幅広いジャンルで活躍するプロデューサー・ディレクターとして高い評価を得る。プロデュース・ディレションの分野はロック、ジャズ、クラシック、映画音楽、アート、舞台美術、都市開発と多岐に渡り、音楽評論家・エッセイストとしても独自の視点で人気を集める。『シャングリラの予言』(正・続。森永博志との共著)、『セルジュ・ゲンズブールとの一週間』、『父から子へ伝える名ロック100』、『TOKYO 1969』など著書多数。最新作は『すべてはスリーコードから始まった』(石坂敬一と共著)。

森永博志……1950年生まれ。通称マッケンジー。エディター。 音楽雑誌、文芸誌、ストリート・マガジン編集長。創刊当時の『POPEYE』、『月刊PLAYBOY』、『BRUTUS』で特集記事を担当していた編集者としても知られている。編集者としての代表作は『南海の秘宝』、『小説王』、山川惣治『バーバリアン』、上村一夫『菊坂ホテル』、吉田カツ『ラウンド・ミッドナイト』、布袋寅泰CDブック『よい夢を、おやすみ。』、『PATAGONIA PRESENTS』、『森羅TRIP TO THE UNIVERSE』など。『シャングリラの予言』(正・続。立川直樹との共著)、『原宿ゴールドラッシュ』『ドロップアウトのえらいひと』など著書多数。最新刊は『あの路地をうろついているときに夢見たことは、ほぼ叶えている』。

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