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2017.07.14 COFFEE PEOPLE ~ Vol.20 澤田洋史 ~

毎月、各界のゲストとコーヒーを入り口に様々なトークを繰り広げていくCOFFEE PEOPLE。第20回目はラテ・アーティスト/sawada coffee代表の澤田洋史さんの登場です。

澤田さんは2008年にラテ・アートの世界大会において、アジア人初の歴代最高得点でチャンピオンに輝いたラテ・アーティストです。澤田さんが得意とするのは、ミルクピッチャーの注ぎのみで繊細な絵を描くフリーポア・ラテアートです。またアメリカはシカゴにて “sawada coffee”を開業。現在も好評を博しています。

元々会社員だった澤田さんは、どのような道のりを経て現在のキャリアにたどり着いたのか。そしてアメリカのコーヒー文化の特徴、本物であることの定義、さらにはビジネスへの美学まで大いに語っていただきました。ぜひお楽しみください。

(聞き手:鳥羽伸博(TORIBA COFFEE代表)。写真:石毛倫太郎。構成:内田正樹)

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“牛乳好き”の東京ミーハーでした(笑)

——今日はありがとうございます。この対談、お読みいただいた通り、毎回コーヒーの話をほとんどしていないんですが、実は澤田さんが初めてのコーヒー関係者なんですよ。

「そうなんですか。ありがとうございます」

——コーヒー関係者でお話を聞いてみたい人がなかなかいなかった。もしかしたら澤田さんが最初で最後かもしれない(笑)。澤田さん、元々企業にお勤めの“牛乳の人”でいらしたんですよね?

「そうなんです。大学まで大阪にいて、卒業して90年代初頭に新卒で入ったのが青山の紀ノ国屋インターナショナルっていうスーパーマーケット。そこで輸入チーズやナチュラルチーズのバイヤーをしていました。東京に憧れていたんです。月曜9時のトレンディドラマとか見ていたら、吉田栄作とか三上博史とかが東京タワーの見えるところに住んで熱帯魚飼っちゃったりしてて。『うわこれええわあ』って(笑)。

——当時のトレンディドラマって最も現実的じゃないのに(笑)。

「僕、大学の時がバブルの時だったんで、トレンディドラマに出てくる主人公、みんなめっちゃいい部屋に住んでいたんですよね。まあミーハーというか、東京のことをあまりにも知らなさ過ぎたという(笑)」

——東京へは来たことなかったんですか?

「ほとんどなかった。僕、高校生の時にシュークリームのヒロタでアルバイトしてたんですけど、その店の前がなんば花月だったので、吉本系の芸人しか見たことがなかったんです。そもそもめっちゃ甘党で、食べることがすごく好きだったので、食べもののバイトばかりしていました」

——小さい頃から食いしん坊だったんですか? 

「食べることは好きでした。給食も一番食べるの速くて、一番におかわりをもらっていた」

——僕もそうでした。

「だからどうせ就職するなら好きなことを仕事にしたいと思って、紀ノ国屋に就職したんです。就職する前、初めて紀ノ国屋に行った時、当時はまだ珍しかった輸入の缶詰とか調味料とか見たことのない野菜とかが並んでいてカルチャーショック受けた。だからここに就職したらいろいろ試食させてもらえるんちゃうか?みたいな軽い気持ちで就職してしまいました(笑)。その頃、紀ノ国屋で買い物をしていたら、もうすごい帽子を被った渡辺謙さんが買い物していたんですよ。あとは中山美穂・忍の姉妹とか!」(驚)

一同(笑)。

——姉妹で来てたんだ!?(笑)。

「当時はまだ東京でも白カビや青カビの生えたチーズって、まだそこまで食べられてはいなかった。やっぱり全国的には給食に出るようなベビーチーズや、中にアーモンドが入っているやつとか、6ピースのプロセスチーズなんかが主流でしたから。そこで5年目迎える頃に、雪印乳業も北海道で国産のカマンベール工場を作って、全国的に国産のナチュラルチーズを広げていくという流れがあって。それをPRする広報ということで、雪印乳業に転職しました」

——その当時、プロフェッショナルなチーズの知識を持った人って日本にどのくらいいたんですか?

「そんなにいませんでした。やっぱり一部のバイヤーか、もしくはフランス料理店のソムリエの方ぐらいだった。だから僕も紀ノ国屋の頃に、東京から地方へ、お中元やお歳暮でワインとチーズのセットみたいなのを贈られる方がいらっしゃると、送り先の地方の方から、急に僕のところに「チーズにカビが生えているじゃないか!」みたいな苦情電話がきて(笑)」

——ああ、なるほど(笑)。

「ええ。田舎なので、カビ=パンや餅に生えているカビのイメージしかなかったんですね」

——ちなみにその苦情に対してはどう答えるんですか?

「『そういうものなんです』としか答えられなかった(笑)」

——まあそうですよね(笑)。で、それからは?

「4年くらい働かせてもらって、一度サラリーマンをリセットしたくなって、アメリカ留学に行きました。それがシアトル。治安も良さそうだったし、別にコーヒーを勉強したかったわけでもなく、日本でも知られていたスターバックスやアマゾンドットコム、コストコ、ボーイングといった企業もあったので、ビジネスと語学の勉強のために留学しました。ただ当時はイチロー選手がシアトルマリナーズに入団して新人賞を獲ったっていうのもあって、かなり盛り上がっていましたね」

——なるほど。それで?

「そこで毎日出される宿題を、最初はスターバックスでやっていて。シアトルの夏はすごく爽やかで気持ちのよい夏なんですが、秋口からもう雨期に入るんです。毎日雨。だから毎日どんよりしていた。で、ある日雨も降ってきたし、いつものスターバックスまで行くのも濡れるしと思って、個人のコーヒー店みたいなのに入ってみたんです。メニュー表を見たらスターバックスとだいたい同じ値段だったので、カフェラテ頼んだら、コーヒー作るような見た目の感じじゃないバリスタが、見たこともなかった手捌きでエスプレッソを抽出して、ミルクを温めて、お持ち帰り用のペーパーカップに注ぎだけで繊細なラテアートを描いてくれたんですよそのギャップにやられて『何これ!?』と感動してしまって(笑)。しかも飲んでみたら今までに飲んだことのなかったコーヒーの風味とミルクの泡のシルキーさがあった。キャラメルのような味で、ともかく舌触りがすごく滑らかだったんです。その注ぎながらのアートも後から泡を乗せるものではないので、ほんとにミルクの泡のキメが究極に細かくないとできないんです。だからなめらかで舌にまとわりついてくるような泡なんですね。やっぱり実際ミルクのとろっとしたシルキーな泡とエスプレッソといったコーヒーが混ざると、より美味しさが長く舌の上にいるような感覚を覚えたんです」

——日本でも飲んだことなかった味でしたか? 

「なかった味でしたね。そのお店の常連になって後から分かったんですが、スターバックスは資本力があって、やっぱりダウンタウンのいい角地なんかに店を出すけど、彼らみたいに資本のないお店は、1本裏とか2本裏にお店を出す。だからお客さんに来てもらおうと、スターバックスやタリーズが出来ないような味とサービスを提供しなければならなかったんですね。だいたいスターバックスもそうですが、シアトル系のチェーン店ってコーヒーを注いだ後に蓋をして、蓋の穴から飲むじゃないですか。僕も最初にスターバックスが銀座に来た時、初めてカプチーノを蓋の穴から飲んだ時にすごく感激したんです。今はめっちゃ普通ですけど」

——分かります。びっくりしますよね、あの感覚は。当時あの蓋から飲むスタイルに否定的だった大人が多かった。ただその否定的な感覚に対して、若い人たちは面白がっていた。悪い言葉で言えば“ジェネレーションギャップ”ってこういうことなのかなって後から思いました。

「非常識が常識になる瞬間ですよね。僕がシアトルで感動したお店が何軒かあるんですが、そうしたお店は決して蓋はしないんです。ペーパーカップだけど、最初は生ビールの泡のように飲んでもらって。蓋のいる人はS、M、Lの蓋を自分でテイクアウトするというスタイルでした。生ビールも最初に注いだやつと5杯目とでは、最後に入れた注ぎたての泡のがいちばん美味しい。やっぱり注ぎたてのミルクで直ぐに飲んでほしいっていうのが、美味しさの証明だったんですね。しかも僕、すごいミルク好きなんで」

——僕も牛乳好きです(笑)。

「親父のビールのジョッキに牛乳とミロを入れて毎日飲んでいたぐらい好きでした。そのシアトルでカフェラテには感激したけど、実際のミルク自体は、日本のほうが美味しいんですよね」

——ああ、アメリカって牛乳が美味しくないですよねえ。

「美味しくないんですよ。向こうはガロン売りなんで賞味期限も長いんですよ。おまけに輸送の時間がかかるという問題もあって、日本より高温で長時間殺菌されいてるものがほとんどなんですね。そうするとミルクの風味や甘みが損なわれる」

——そうですよね。

「アメリカの僕の友達が日本に来てカフェラテを飲んだら、やっぱり日本のカフェラテのほうが美味しいって言うんですよ。牛乳自体が美味しいから」

——ホールフーズマーケット(※アメリカの大手高級スーパー)とかまで行けば、まだいい牛乳もありますけどね。 

「今はああいうオーガニックのスーパーマーケットっていうのが全米にありますからね。アメリカで美味しいミルクは瓶で、オーガニックで、低温殺菌なんで上にクリームが浮いてくる。ただ値段が違いますね」

——僕が96年にイギリスで生活していた頃、何に驚いたかって、牛乳の美味しさとバターの美味しさだったんです」 

「僕もイギリス行った時に感動したのは、クロテッドクリーム。スコーンとかにつけるあの濃厚なクリームが日本にはなかったので」

 ——あれは最高ですよね。

「ええ。すごく美味しい。日本もアメリカも、牛乳のもとになる牛って黒と白のホルスタインなんですね。でもヨーロッパのイギリスやフランスに行くと、だいたいブラウンスイス系の毛並みの牛なんです。日本でもブラウンスイスのミルクとか売っていますけどすごく高い。1本400円とか500円。やっぱり出てくるミルクの成分が全く違う。濃厚で美味しいんですよね」

——ラテにするミルクって、乳脂肪分が高いほうが美味しいんですか?

「好みもありますが、日本の3.6牛乳ぐらいがいちばんミルクの泡を作りやすいですね。あまり脂肪分が高いと、ミルクの成分上、きめ細かい泡が作りにくい。逆に脂肪分が低くなってもまた作りにくくなるんですが。あと、アメリカと日本の牛乳をカフェラテ用に泡立てようとすると、日本のほうが泡立ちやすいですね」

——それは新鮮だから?

「おそらく殺菌のかけ方だと思います」

——低温殺菌のほうがいいっていうことですか?

「そうです。アメリカだと普通の3.6ぐらいのミルクに生クリームを加えて温めたカフェラテみたいな、ブラベっていう名前のラテがあるんですよ。ブラベラテとか。それとかは本当に泡立たない。もう成分上無理なんですね(笑)

どうしてもっと新しいアイデアを考えないのか?

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——話をシアトルに戻しますが、そのインディペンデントのお店で感動して、そこから店の人と仲良くなって、いろいろと教わったわけですか?

「はい。そこのマネージャーに『お前、毎日、何の勉強しとるねん?』と声を掛けてもらって」

——関西弁(笑)。

「(笑)。それで仲良くなって、自分でもコーヒー作りたくなって『ちょっと作り方教えてや~』みたいな話をして、とりあえずインターンでそこで働くことになって。最初は掃除から始まって、お店の閉店後にバリスタのテクニックからラテアートまで教わりました。で、ある程度まで作れるようになったら、お客さんに提供するところまで任せてくれました」

——それは教わり始めてからどれぐらいの期間で?

「3ヵ月ぐらいはかかりましたね。当時はラテアートの教本もなければYouTubeもスマートフォンもなかったので。今の人たちは恵まれていると思う。タダで情報を得られて。僕の時なんかもう何回も『もう1回やって? お願い!』みたいな感じでしたから(笑)」

——PIZZA SLICE(渋谷区猿楽町)の猿丸(浩基。同店オーナー)君は、ニューヨークのピザ屋で働いていた頃、深夜にピッツアの練習をしていたんだけど、一緒に働いていた人たちがメキシカンとかプエルトリカンとか結構いい加減な人たちだったらしく、『お前、結構できるじゃん? じゃあ俺ら遊んでくるからあとお前やっといて』という感じで、結構早くチャンスが回ってきたと言っていました(笑)。まあシアトルとニューヨークの違いなのかもしれないですけど(笑)。

「シアトルのコーヒー屋では、レストランでもないのにチップがすごくもらえるんですよ。本当に作るのが上手じゃないと、常連から『もう、お前は代われ』とか言われるぐらい厳しいんです。加えてみんなトークも上手いんですよ」

——プロなんですね。

「そうですね。もう常連の名前は全員覚えているという感じ。僕が一番すごいと思った人は、レジをブラインドタッチで打ちながら横目でラテアートを描けるヤツがいて」

——えぇーっ!!(笑)。

「彼はすごかったですね。僕もいまだにできない。当時でもバリスタ歴十何年とか言っていましたけど」

——当時のシアトルでバリスタ歴十何年っていったらパイオニアでしょう。だってエスプレッソマシーンだって当たり前になかった時代ですよね。

「そうそう。ちょうどスターバックスがラマゾッコというマニュアルのエスプレッソマシーンを最初に使い始めたぐらいの時期だったかな」

——そういったプロのバリスタの人って、お客さんとどんな会話をするんですか?「マリナーズ勝ったねえ」みたいな話題なんですか?

「そうですね。世間話から『昨日のレーザービームはヤバかったよな』みたいなことまで。だいたいみんな何の職業とかどこの学生とか把握しているので。お客さん同士で仲良くなれるんじゃないかなと思ったら、バリスタが『彼、あそこの学生なんだよ?』とか言って結び付けてみたり。単にコーヒーを売っているだけというお店ではありませんでしたね」

——そうあるべきですよね。そういう人たちはコーヒーに対する美学とか豆がどうとか、そういう話はまずお客さんにしないんですよね。

「確かにあんまりうんちくをたれる人はいなかったな。そういう意味では最初にいい店を見ることができたのかも。実はたいしたことないのを最高だと誤解してしまうのは怖いですからね」

——澤田さんの過去のインタビューを拝読したら、お薦めのコーヒー屋、みたいなくだりで、「例えば自分が薦めたラーメン屋をみんなが必ず美味しいと言うとは限らない。やっぱりコーヒーだって皆それぞれ好みがある」といったお話をされていたのを読んで、そうなんだよなあと思いました。おそらく澤田さんに「美味いよ」と言われたら、僕はその店に実際に行って、美味いと感じると思うんです。だけどたまに薦められた店に行って、ああ、この人と自分の人間関係は多分うまくいかないだろうなあと感じることがあって」

一同「(笑)」

——「この人、こういう人なのか」みたいなね。そのお薦めのレベルが本当に低かった時って、その人の人間的なレベルも下がってしまうというか」

「そうですよね。僕も食べ歩きや外食はすごく好きですが、やっぱりいつも同じ店や飲み屋にばかり通っていると、そこで止まっちゃうというか。普段は行かないようなお店に行くことで刺激をもらうし、そもそも僕はコーヒー屋さんから学ぶことって、いつもそんなにないんです。他のコーヒー屋のいいなというところは見つけるんですけど、それを自分のお店でやったらパクリになってしまうし、オリジナリティがなくなってしまうので。例えばいまシカゴの僕のお店では、よく四角い日本酒の升にコップを真ん中に置いて、日本酒がばーって溢れるやつ、やるじゃないですか。あれをアイスコーヒーでやっていたりするんですね。やっぱりそういうのアイデアって、コーヒー屋に通っていて浮かぶものではない」

——そうでしょうね。よく分かります。

「やっぱり美味しい日本酒のお店に行って、日本酒を注いでもらって“これをアイスコーヒーでやったらええんちゃうか?”みたいなアイデアが浮かぶわけで」

——最近のコーヒーの業界って、工夫が少ないんじゃないか?と僕は思っていて。確かに日本の喫茶文化には素晴らしいものがある。ただ“真面目過ぎた”ことも事実で。アイデアがどうとかではなく、ずっと芸を極めてきたというか。それがポートランドやシアトルまで何とか協会みたいな団体で視察旅行に行って、向こうのコーヒー屋を見て感動しちゃって、こっちに戻ってきて店の内装を変えちゃう、みたいなパターンになっちゃう。え? あなたたちいままで20年間、何をやってきたの?という話になってしまうわけで……。

「よく分かります」

——この話題について言えることのひとつには、一種の大企業病だと思うんですが、仕事をしている“フリ”の人がとても多いこと。要するに、新しいアイデアを考えたり進めたりするのではなく『いまこれが流行っています。だからこれが安全です』と、それって本当はもう過去の情報でしかないのに、マーケティングという言葉で一生懸命それを正当化している。世の若い子たちが車離れしているなら、じゃあどうするの?というところが出てこないでマーケティングばかりを一生懸命やっている。結局『CMいっぱい打ちましょう』とか、くだらないことばかりやるわけです。でも僕の周りの世代って車乗りたくないわけじゃなくて、乗りたいけどいい車がないっていう人だって実は多い。「最近の若い人たちはいい服を着なくなった」。それって着たい服がないんじゃないの?と。だってSupremeは並んでるじゃん?サカイは100億売ってるじゃん? デパートは何やってんのよ?というのが本当の話なのに、何だか都合よくマーケティングという言葉でうやむやにしてしまっている。ちなみに澤田さんのお店って、いま何人ぐらいでやられてるんですか?

「いまは僕を合わせて6人ですね。まあコーヒーショップなんで限られた人数で。そこで僕が大切にしてるのは、お客さんに対してのブランディングです。他がやっていないという、モノマネではないオリジナリティを追求していくことや、お客さんの期待に応えるのではなく、期待以上に質の高いものを常に提供するということはいつも考えています。でもその前に、スタッフへのブランディングが重要なんですね」

——つまり「ここはカッコいい」と思って働いてもらいたい?

「そうです。やっぱりここで働いていたら勉強になるとか、ここにいたら僕が渡辺謙さんを見たようにお洒落でカッコいい人が来るとか(笑)。自分の恋人や家族もお客さんとして連れてきたいと思うような環境なら、絶対にいいスタッフが集まるじゃないですか」

——僕もそう思います。あとは日本って、いつまで経ってもアメリカに憧れていて、アメリカにコンプレックスを持っていて、アメリカから影響を受けてやっていくということが当たり前のままだった。でもとうとうそれも限界に近づいてきたと感じるんです。

「確かにいま鳥羽さんが言われたようなコーヒーショップが最近すごく増えている。若い子の店もサードウェーブとか言いながら、みんなやっている内容が一緒なんですよ。豆の話から始まり、抽出も……」

——“フロム・シード・トゥ・カップ”ですね。

「ええ。で、何だかスタイルもメニューも皆一緒で、違うのは店名と場所だけみたいな。何故もっとオリジナルなものを作れないのかと思います。僕はとにかく真似するというよりもされるものを作りたいと思っているので、ラテアートの注ぎだけで描くアートを日本で最初にやった時も、それまでラテアートと言うと、注いだ後にクマの顔を描くようなものがそれだった。僕も「ラテアートのチャンピオンなんですか? じゃあすいません」と携帯を渡されて「この、うちの犬を描いてください!」みたいな(笑)」

——そういう場合って、描いてあげるんですか?

「いや、そこで描いたらお客さんの期待通りのことをしてあげるというだけなので。でももう一方で、注ぎだけで描くラテアートがあることをもっとお客さんに知ってもらいたい。注いだら『え? これ、注ぐだけで描けるんですか?』と驚いてもらえて、飲んだら『うわ! これ今まで飲んだことない。こんなシルキーな泡飲んだことないわ』と、僕がかつてシアトルで感動したように喜んでもらえるように。やっぱりお客さんのニーズというのは、今まで体験したことのないもの、飲んだことないもの、食べたことないものや『実はこんなの食べたかってん!』みたいなところにあると思うんです。でもひとつ何かがちょっと流行ると、それにに乗っかってどこでもやりだすじゃないですか。そうじゃなくて、何でもっと考えてやらないのかなあと思います」

——ゼロから考えることのリスクよりも、もともとあってうまくいってるもののリスクのほうが低いと思っているんでしょうね。でもそれって実は反対に高リスクなんですよね。だって何故ならみんながやってるんだもん。本来は食習慣の考え方から広がっていくのが当たり前なのに、最初から当たりを狙おうとするのが間違いなんですよね」

「ピラミッドでいう一番下の層の人々というのは、本当に流行りもの好きなの。で、さらに新しいものが出たら飛びついて。1回食べたり1回経験したら『もういいや』となる。これまでも日本の何とかブームみたいなやつが流行りましたけれど、結局はどれも使い捨てだったし」

——かつて澤田さんがそうだったように、やっぱり感動ってすごく重要なことだと思う。「こういう気持ちをお客さんに届けたい」といった熱い想いが、いまの澤田さんに繋がっているわけですよね。

「そうですね」

——だけどいまってその感動のタイムラグがものすごく短くなっちゃっている。だからそのライムラグを埋めるために、ほぼほぼパクってしまうということが起きているのかもしれない。だってポートランドに行きました、帰ってきました、さあ店を改造するぞ!ってアイアンでテーブル作りました、というのは、スピリッツや精神の話じゃなくて内装の話ですからね(笑)。スペインのエルブジとか、ああいうところの人たちは本気で考えているから突っ走れるわけで。でも意外と食が進んでないオーストラリアとか北欧とか南米とかは、そういうパイオニアのスタイルがインターネットとかで情報として入ってきちゃうから、積み重ねていない中で突然突っ走っている人と同じことができちゃう時代になっているのかなと。

「まあこれだけお店も増えましたしね」

——逆にもう大手が入り込む余地ってないのかなと思うし。だからこそ澤田さんがいまシカゴで自分の店をやっていらっしゃるのって、僕にはすごくよく分かるんです。

「まあ僕はかなり前からアメリカにお店を出したいという夢を持っていたので。日本のことはあまりよく知らないんですが、シカゴってすごくコーヒー文化が根付いていて。サードウェーブっというのはアメリカの言い方ですけど、なかでもビッグ3というのがあるんですね。シカゴのインテリジェンシアコーヒー、ポートランドのスタンプタウン、あとノースカロライナのカウンターカルチャーです。インテリジェンシアコーヒーはアメリカ人で初めてのワールドバリスタチャンピオンも輩出したようなお店で、シカゴ発なんです。そのお店がLAやニューヨークに進出している。シカゴはコーヒーショップの質もお客さんの質も非常に高いんです。そういうところで勝負したかったというか。でも最初、日本人の僕がシカゴでコーヒー屋を出そうとした時は、『それはアメリカ人が銀座で寿司屋を開くようなもんだ』とか言われましたからね」

——ああ、なるほど。

「『何で寿司屋せえへんねん?』みたいなことを言われましたね。だからこそ僕はその当時から、他のコーヒーショップにはないメニューでありサービスをたくさん持ってやらないと潰れるだろうなという緊張感は持っていました。例えばそうしたメニューのひとつとして、さっきお話しした升のアイスコーヒーがあったり、他にも抹茶ラテにエスプレッソを入れて、迷彩柄にしたミリタリーラテとか。それとコーヒーじゃないんですけど、日本酒って、アメリカだと白ワインの感覚で冷やして飲むのが一般的なんですね。でもシカゴの冬は寒い上に、熱燗文化がないんですよ。だからエスプレッソマシーンでお酒を温めて、熱燗を出してみたり。そういう競合がやっていないメニューをたくさん考えるんです」

何よりもまず“マインドありき”であれ

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——僕はシカゴのsawada coffeeにおじゃましましたが、あのお店は広いですね。あれは違うお店も入っているんですか?

「そうなんです。バーベキューレストランが入っていて。お客さんはどちらも自由に行き来して使っていい感じにしてあるんです。もともとあの建物は倉庫だったんですよ」

——入口とか、初めてだと分かりませんね。

「そこも狙いです。普通はコーヒーショップというと店内が見える。でも僕のお店って中二階みたいになっているんで、外から見てもメニューは出てへんし、中の様子も分からない。で、扉を開けたらめっちゃ落書きがあって。禁酒法時代に隠れてお酒を飲むような感じ(笑)。看板のない焼き鳥屋みたいな感じですね。

——あの感覚は僕もすごく憧れるし、なるほどなあと思いました。一度行けば次回は分かるし、逆に言えば、派手に目立つ看板を置くという文化はもういらないのかなあと思った。

「秘密のアジトじゃないけど、一見誰もが通り過ぎてしまうようなコーヒーショップに自分が気づいて、行って、気に入ったとしたら、誰かを連れて来たくなるじゃないですか」

——ちなみにsawada coffeeという名前って、名付ける時にちょっと悩みませんでしたか?

「僕は特に悩みませんでしたね。アメリカの日本車って、ホンダとかトヨタとか、日本の名前でもそのまま呼ばれるじゃないですか。それで違和感がなかった。ホンダとサワダって“ダ”繋がりだし(笑)」

——そうかあ。いえ、僕、実はTORIBA COFFEEという名前を付ける時、最後の最後まで自分の名字を名前に付けるかどうか、すごく悩んだんです。それは自分の名前のコーヒーを出すことが、何だかおごりに感じられてしまって、何だかちょっと重かったんです。

「そうなんですね。あと僕はSawada coffeeという、日本人がやっているコーヒーショップの存在を、シカゴ在住の日本人にも知ってもらいたかったというのもあったので。土日はうちのコーヒーを飲むためにわざわざ車でやってきくれたり、同じ日本人として応援してくれるんですよ」

——なるほど。すごくセルフブランディングを考えていらっしゃるんだと思っていたんですが、動機は案外シンプルだったんですね。

「そうそう。あとはいま日本でコーヒーショップをやっている若い人たちが、いつか海外で自分の名前の店やりたいなあと思ってもらえるようになったらいいな、という想いもあって。そこで日本人の僕がアメリカでカッコつけた横文字のコーヒーショップをやっているのはどうなんだろうかと(笑)」

——確かにそうですね。僕ももしアメリカに出すんだったら、多分TORIBA COFFEEを迷わなかったと思うし。

「今年は夏に“sawada抹茶”という新しいお店をシカゴに出そうと思っています」

——澤田さんが東京なり日本と比較して感じるシカゴの良いところってどこですか?

「シカゴは日本と比べてコーヒーにお金を使うくれる印象がありますね。ある程度収入の高い人も多いし、コーヒーに1日15ドル、チップ合わせて20ドルぐらい使ってくれる人がたくさんいるんです。美味しいものや体験にちゃんとお金をかけてくれるんですね」

——つまりカフェに行く文化がちゃんと広まっている?

「そうですね。日本だとコンビニに行けば100円で買えるしペットボトルや缶のコーヒーも売っているし自動販売機もある。日本人、1日に2千円はコーヒーに出さないじゃないですか。でもシカゴには出す人がいっぱいいるんです」

——「そうですよね。TORIBA COFFEEがテイスティングを100円にした理由もそこでした。やっぱり「コンビニ行ったら100円なのに、何でここはテイスティングに300円なの?」と言われたら「……そうだよなあ」と言うしかない(笑)。そこで「これでいいんです」と言い切るビジネスをやるとなると、やっぱり喫茶店のビジネスだし、それはやりたくなかったので。でもこうして澤田さんの話をうかがっていると、コーヒーに対するこだわりは伝わるんですが、人生においてコーヒーが持つウエイトって、そんなに重くなさそうですよね?

「まあ僕はどちらかというとミルクが……」

一同(笑)。

「最初もチーズでしたからね。ミルクにカビつけてたわけですから。実はずっとミルク屋なのかもしれない(笑)夏に開くsawada抹茶は、抹茶ラテがメインだし(笑)」

——(笑)。僕のコーヒーに対するスタンスって「コーヒーが主役じゃないこと」なんですね。コーヒー屋だけどコーヒーが世の中で主役になることはないと思っているんです。フランス料理を食べて最後のコーヒーが美味しいのって、もちろんそれはそれで当たり前だと思うんですが、メインはあくまで料理なわけであって。でも澤田さんがやってらっしゃることって、コーヒーが主役になるちゃんとしたプレゼンテーションがあって、それがお客さんにきちんと伝わっているからこそ、1日2千円払ってもらえるコーヒーを作っているのだと思うんです。でも、澤田さん自身の中ではそれほどコーヒーに大きくウエイトを置いていない。スタンスは違えど、そのウエイト感は、多分似ているような気がするんです。

「鳥羽さんと初めてお会いしたのは大阪でしたが、最初はコーヒーの人だと思わなかったんですよね。たまたま僕と同じSupremeの服を着られていたので『この人は何者かな?』と思ったし(笑)これまでに会ったコーヒーのビジネスをしている人たちとは、ちょっと違う人やな?というのは感じていました。そもそも僕、日本でコーヒー関係の友人がいなくて……だってコーヒーの人ってコーヒーの話ばっかりするから……」

一同(爆笑)。

——澤田さん、普段の僕と全く同じことを言ってる(笑)。

「鳥羽さんと飲みに行ったら、コーヒーの話、一切なかったですもんね(笑)」

——そう思うと今日はかなりコーヒーの話をしていますね(笑)。でもサードウェーブって、本来そういうものだと思うんです。本来サードウェーブを始めた人たちって、コーヒーが自分を表現するツールだっただけで、でもだからこそこだわるわけで、名刺のグラフィックとか店内の内装のこだわりとかのほうが、表現のツールとしてはしっくりきているのかもしれない。でもカフェをやるならコーヒーはこうでなきゃいけないと連鎖的に決めていっただけで。つまりコーヒーではなくマインドありきだと僕は思うんですね。

「そうですね。しかもそこで質が高くないとダメだし、何より本物じゃなきゃダメだと思うんです。僕にとって本物と偽物の違いって、簡単に言えばオリジナルかどうかというだけ。やっぱり偽物は偽物なんです。パクリはブランドにはならない」

——そういう観点で言うとやっぱりSupremeって突っ走っていますよね。

「そして質も高い。やるからには非常にこだわっている。だから僕も好きなんです」

——サードウェーブの人たちも最初からマスの考え方をしていなかったからこそ、絶対に妥協しなかった。かつての日本で脱サラして喫茶店を始めた人たちも、コーヒーが好きだからやってる人たちだったから妥協をしなかった。だから頑固にやってきた人が多かったんだと思うし。そういうビジネスをする人たちが残ってきているのだろうし、これからも残っていくのかなと思います。だって作っている人が『本当にこれでいいのかな?』とか思いながらご飯を作っている店が美味しいわけない。だからやっぱり想いというのは大事なんじゃないかと思います。

「最初から儲けたろうとか思わないからね」

——だって24時間オープンのコンビニが、世界の全ての街で本当に必要かと言うと、例えばフランス行ったら無いじゃないですか。でも建前としては雇用を生むとか経済効果とかいう話に繋がる。そういう考え方が、元来日本の美学になっているんでしょう。しかもその裏には、『他をつぶしたれ』という野心があるから、みんな24時間オープンして闘い合う。でも本来そんな闘いなんていらないじゃないですか。

「昔は『11時に閉まりますよ』と言われたら11時までに買い物行っていましたよね?(笑)」

——行っていました(笑)。まさにフランスはそうですよね。6時に閉まるから行かなきゃ、みたいな。

「ですよね。シカゴのsawada coffeeは朝8時から5時までの営業なんです。5時に閉めちゃうんですよ」

——役所と同じですね。

「そう。僕がそういう仕事をしたかったから。元々サラリーマンだったし、夏季だと5時以降もすごく明るいんで、ビール飲みに行きますからね。特にアメリカ人は夕方カフェイン飲まないんで。ただまあどちらかと言うと、自分のライフスタイル優先ですね。僕の場合、例えばお正月はスタッフと温泉やスノーボードに行こか、みたいな感じなんですよ。まあ僕とスノーボードやりたくない子にはちゃんと田舎に帰ってもらっていますので(笑)」

——日本の商いの習慣も最近また歪んできていて『働きたくない』とをはっきり言う人たちが増えてきた。

「伊勢丹とか休むようになりましたもんね」

——それにしても今回はいつもよりコーヒーの話をたくさんしている気が。ちなみに澤田さんが一番好きな牛乳って何ですか?

「日本だと何かな……明治の『おいしい牛乳』はよく飲んでますけどね」

——確か殺菌が特殊なんですよね。

「あとはタカナシの低温殺菌とかも。あんまり高い牛乳は飲まないですね」

——牛乳についてはマニアな方ですか? 

「そんなことないですね。喉が乾いていたら飲む程度。あと僕はけっこう混ぜるのが好きなんで。いまだにミロとか好きなんですよ。あとはカルピスを牛乳で割って飲んだり。あとは抹茶も静岡からアメリカに送ってもらっています」

——sawada抹茶も楽しみにしています。今日はありがとうございました。

「ぜひまたシカゴへいらして下さい。こちらこそ今日はありがとうございました」

 

(プロフィール)

さわだ・ひろし……1969年大阪府生まれ。大学卒業後に紀ノ国屋インターナショナルに就職。当時、世界最年少の25歳でフランスチーズ鑑評騎士(シュヴァリエ デュ タスト フロマージュ)の称号を叙任。その後、雪印乳業での勤務を経て2001年にシアトルへ留学。1年後に帰国すると Dean & Deluca で店舗立ち上げなどに従事する傍ら、米国で開かれたラテ・アートのコンテストに出場を続け、2008年に世界チャンピオンとなる。2010年、東京・渋谷に「Streamer Coffee Company」を開店。2015年、シカゴにて「sawada coffee」1号店をオープン。2016年、「ニューバランス原宿」内のカフェ「Nothing Better」をプロデュース。メディアへの出演や「ニコン」のテレビCMにおける木村拓哉との共演など、ラテ・アートの普及を軸に多方面で活躍を続けている。

 

 

 

 

 

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